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「すぷれざちゅーら」

スプレザチューラ、SPREZZATURA。イタリア語らしい!?

本年(2003年です)最後を飾るキメの言葉を発見!

要するに「サリゲナクやる」なんて気取った言葉であるらしィ。

ルネッサンスのころ(つまり西洋12世紀頃から15世紀過ぎまで)文化が花開いてあれこれ余裕を楽しむヨユウの出来た貴族達の宮廷での、立ち居振舞いの基本がこれ「すぷれざちゅーら」であった、とカスチリョーネさんという方のご本に書いてあるラシイ。

芸事を例にいえば、絵でも音楽でも飛び切りの才能と厳しい修業の末には”自然な”領域にたどりつく。

そうなると作品、演奏など、ぜんぜん”あたりまえ”風になってくる。まるで庭にボケの花が勝手に咲いてるような絵とか、風がうたってる歌みたいな、そうでないとダメ。

と、芸事だけでなく、生活すべてが「すぷれざちゅーら」、それが宮廷で人並みでいられるポイント。アーシンド!!と思うけど贅沢とはこんなもんかいな、という気もする?

ほんなら、日本でもそんなもん当たり前や、と当然気のつくことは多い。お茶のお点前に呼ばれたら、どないしょ!と思うのはマチガイ。茶道の極意は「自然」にきまってる、シロウトだからと客に不安を覚えさえるような主人は、お茶人の資格をそこで失墜してるんや、と此方がお点前の力量を試すことができるハズ。華道に「投げ入れ」というやり方があると聞いて驚いたことがあるけれど、投げ入れる方法にも厳しィ規則や修業がありそうな事は想像できる。けど、「投げ入れ」を鑑賞する側からは、無造作に投げ入れられた風情がないとオモロクない。

こんな所がsprezzaturaの感想かな、と書いて見たら、なんかそこらのインターネット記事に類してて、いっこうに「すぷれざちゅーら」してないことに気がついてしまった!!

そこでもう一ひねり。

「すぷれざちゅーら」の反対、すなわち宮廷でバカにされ、さげすまれる振る舞い方は「あふぇたちおーね」、わざとらしさ affettazione、だとカスチリョーネさんは書いてるらしィ。

少しクッキョク屈曲した、ひねくれた見方をすると、スプレザチューラ、なんて、それ何なん、と返ってお呼びでない雰囲気にもなりそうな、そんな所まで行ってしまう人もいそうな状況も無いでは無さそう。そう、そう、そう・・・。となり得る。そうなった時の気分は多分、わざとらしさ「あふぇたちおーね」を気取るのがOKなのではないでしょうか?

そこをまた過ぎたら、また、なにげなさ、がいい、とか・・・。まことに人の心は尽きることなく求めるものを求めてさまようように出来てるらしい。ほんで、なにを求めてるんや?と言われても・・・コマル。

初心忘るべからず、と世阿弥先生はおっしゃったそうですが、この初心というのがなんと実力が一人前になった時のことらしい、そこで慢心したらお終い、満足は後退、感動は前進、で一生(人にとっては無限)新しい感動を求めなさい。ということらしい、という事で、能は「すぷれざちゅーら」を超越した境地を求めてる? 能を知らないのに褒めすぎ、これもダメ?

エネカンは来年も、すぷれざちゅーら気取りでやって行きます。ご期待を。よいお年をお迎え下さい。

追加:このエネカン通信に会員から返信あり。 仏教でいう「遊戯(ゆうげ)」が、すぷれざちゅーら、に近い意味であろう。とのことです。 そういえば「融通無碍(ゆうずうむげ)」なんていう自由自在の境地も仏教の言葉でしょうね。有り難うございました。

Written by Shingu : 2003年12月29日 15:13

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