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皆が正しい-2

(財)若狭湾エネルギー研究センター 所長 新宮秀夫

本誌の前号に書いたナスレディン・ホッジャさんの“皆が正しい”お話が結構うけたので、趣向を変えてもう一度なぜ、皆が正しい、ことがあるのか考える事にしました。

今年はチャールズ・ダーウィンの誕生200年だそうです。進化論で名高いダーウィンですが、その進化論の書かれた書物が「種の起源:オリジン・オブ・スピーシーズ」です。これ読んだ人手を挙げて下さい、といわれて手をあげる人がこの、学力日本一、の福井県でも何人いるでしょうね?

もちろん私も十数年前までこの本はタイトルしか知らなかった。アメリカでは国民の半分以上が進化論を信じていない、という記事が時々新聞などに出るので、そこで一発、原文を確かめようと大判のペーパーバック、厚さ4センチメートルもある本にチャレンジしてパラパラ読み飛ばして、この本の肝心要(かんじんかなめ)の一言を本の最後の最後の5行ほどの中に発見しました。

「生命についてのこのような見方は壮大なものである・・・」という出だしのこの文章は丸暗記に値する名文ですが、どんな見方かというと、生命は最初たったの一個であった、と書いているのです。それが今、世界中にある多種多様の、かくも美しくて素晴らしい生命に進化したのだ、という見方です。

最初は一個って、これマジで考えるとすごいことなんですね。動物も植物も生きとし生けるものみーんな、です! 進化ってことから考えると、人には誰でも父母がいる、父母の父母は4人、父母の父母の父母は8人・・・です。そう数えて、源氏物語が書かれた紀元1000年頃まで遡ればご先祖様の数は約一兆(百万の百万倍)人にふえる。でもあの頃の人口はせいぜい多くて数百万人。だから、明らかに、あの頃の人は、みーんな私のご先祖様、となります。現代人は誰でも私の体にも紫式部の遺伝子がある、といって間違いないワケ。進化論に従って、どんどん行けば30億年位(?)溯るとオレもオマエも猫も犬も草も木も、みーんな共通のご先祖様である一個の生命に行き着く。

で、話は聖書、バイブルに飛びます。私を含めてクリスチャンでない人々も聖書のはじめには人類の祖先アダムとイブのことが書かれているらしいことは知っています。で、アダムが人類の祖先、これはたった一人の人です。その人は土くれから、神様がお創りになった。イブはアダムのあばら骨からそのあと造られた。そこを読んでみて妄想力に優れる私には「なんやこれ、ダーウィンはこれをマネして書いたのかいな」と思えたわけです。

急転直下結論ですが、アメリカ人半分が進化論を信じない、ということを驚くには当たらない。進化論と聖書とには同じことが書いてあるんだから、今さらダーウィンに教えてもらう必要ないわけでしょう。くわしく見ると違う、草や木が人より先に造られてる・・・、なんて細かい‘科学者’ぶった先生達が何をおっしゃろうと、人の最初は一個、というスタートなら、それがアダムであろうが、単細胞ともいえないカソケキ生命であろうが一個であることだけが重要なのですから、そこにある生命の哲学に変わりはありませんね。ホッジャさんの裁判ならかならず、聖書も正しい、進化論も正しい、つまり「皆が正しい」ことになる、というのが今回のお話でした。

(丹南FMラジマガ 2009 vol. 13 掲載)

Written by Shingu : 2009年04月14日 10:23

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