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エントロピーとは何か?・・・(1)

エントロピーという言葉は、一般の人にはあまり知られていないが、エネルギー利用に関係する工学、情報処理の工学、さらに経済学、などの分野では大変重要な概念である。しかしながら、専門家でも、エントロピーについての、理解はまちまちであり、スッキリしない。単純な頭で理解しようと、いろいろ説明を考えた結果をここに紹介したい。2部に分けてあるが、(1)は、全くエントロピーの予備知識の無い方、(2)は、エントロピーは習ったけれども良く分からない、と言う人を対象にしたつもりである。どちらも、式とか理屈の説明を飛ばして、読んでもらえれば、エントロピー的考えかたを日常の出来事に使えるのではないか、と願う次第である。


 どんな概念でも、その真髄は単純なものである。そもそも、概念、という言葉自体、簡単に分かる事、という意味である。概念さえ分かれば、それの応用、実用が出来るのであって、細かい式や、しきたり、はいくら覚えてもダメなのである。
 さて、一番肝心なエントロピーの真髄は、ものを数える時に、数そのもの、ではなくてその桁(ケタ)で数える。という、この一言に尽きる。
 数の力、という言葉が政治などで頻繁に使われるが、数の力、は数そのものではなくて、その桁で効く(逆に見れば、桁でしか効かない)場合が、自然科学にも社会科学にも沢山ある。こう言えば、賢明な読者(心にこだわりの無い人々)ならアッそうね。とお分かりになり、この先はもう読む必要がなくなるのである。

 
 そこで、賢明でない読者(こだわりがあって、細かい事が気になる人々)に向けて説明を始めるのであるが、小学生に分かるためには、例を示すのが良いであろう。
 先ず、桁、をどう数えるかを復習して見よう。先日新聞に文部科学省の教育方針として“兆を超える数”を小学4年生に教える、という例が書いてあった。政府のバラマキの大きな金額に幼少時代から慣れさせよう、という方針なのだろうか?
では、兆、とは何かと振り返ると、1の右手に0が12個つく数である。1の右手0が0個ならそれは1、0が1個ならそれは10、2個なら100、3個は1000、であるつまり0が3個は千という“位”である。6個は百万の位、8個は億の位、と続いて、兆に至る、のである。一、十、百、千・・・という位の名前は勿論中国からの輸入(タダで頂いた)であるが、0が増えるに従って、位の名称も増えて行くのは面白い。ちなみに、0が52個ある位は、恒河砂(ごうがしゃ)、と呼ばれるそうで、これはガンジス河の砂の数、を意味するらしい(砂粒はそんな数は無い)。
位にオモロイ名前がある~、と嬉しがっていれば、それでパッピーでいられるのに、西洋社会では細かいことが好きで、名前を沢山考えるのはイヤだから、簡単にしようと、数の桁、も新たな数、と見よう、という“進歩”した方式を編み出した。先ず、1という数には右に0がゼロ個しかない(つまり何もない)からこれは0ケタである。と見る事が行われはじめた。そうなれば、十は1ケタ、千は3桁、百万は6、億は8、兆は12、恒河砂は52桁、・・・となって、もとの“数”がいくら増えても、桁の名前は無くて、ただ“桁の数”が0、1、2、・・・、52、・・・、と増えるだけである。味も素っ気もない、やり方である。

 数の右の0の数を数える、すなわち桁を数える方式を表現する記号が、対数(たいすう)という、これは高校でやっと習うのだが、兆を教えるなら小学生にも当然分かる事である。要するに、数の、桁を、数えなさいという記号、対数記号とは、数をxで表せは、数の桁は、logx、と書く方式なのである。つまり、log1 = 0, log10 = 1, log100 = 2, log1000 = 3, ・・・, log1,000,000 = 6,・・・、となって行くのである。面白いのは“数”の1が“対数(桁)”では0になる事である。これは、こういう方式を採用するなら、当然のことだが、“数”の1が“桁”の0に対応することは、エントロピーを“数の桁”として見るときに、注意しないと混乱する可能性がある。
 対数、という奇妙な記号になじめない人も、例えば、2の2乗は4、という概念は分かるであろう。記号で書けば、22= 4、である。同様に、100= 1 、 101= 10・・・、106=6 、・・・と書けば、10の右肩に乗っている数が桁数である。

 要するに、百万、という代わりに、6、というのがエントロピーの概念である。具体的にみれば「1円持ってます」という人を基準にすると、その人のエントロピーは0、となり、「百万円持ってます」という人はエントロピーが6だ、と言おうとするのがエントロピーの発想である。(log1 = 0、log1000000 = 6, と書くことに対応している)。
 実際に、それでは、百万円は6、という表現がどんな意味を持つであろうか?これは、経済学では基本的に重要な、効用(こうよう)、概念を指しているのである。経済学をご存じの方なら、効用とはエントロピーのことです、といえばエントロピーの概念は全てお分かり頂けるのだが、実は経済学の先生にも、効用、の概念が良く分かっていない人が多いようである。効用、とは上記の例でいえば、お金をどれだけ持っていれば、どれだけ嬉しいか、を数字で表現することに過ぎない。


 皆が1円持っていれば、自分が1円持っていることは“嬉しくも、悲しくもない”当たり前の事、つまり効用が0である。その時に百万円持っていると、皆より百万倍嬉しいか、というとそれほどでもなくて、せいぜい6倍嬉しい、効用は6である。という事が経済学の基本なのである。
 簡単なことだが、注意すべき点は、1円持っている時には、効用0(エントロピー0)だが、その時に貰う1円の値打ち、すなわち効用の増加分は0ではなくて、1、だという事である。1円持つことが当たり前の時とは、1円の価値が1円という本来の価値である時、と見れば一応納得して貰えるであろう。そうなれば、百万円持っている時には効用(エントロピー)は6しか増えていないのだから、その時に1円貰う事により増える効用(喜び、エントロピー)は百万分の一、になる。これは、所持金が百万円プラス1円になっても、ちっと嬉しくない、という感覚を表している、とみれば納得できる。


 さて、エントロピーと数の力、について最初に触れたが、百万円という金額が一人に集中している時と、百万円が百万人に分散して所持されている時、との百万円という金額の発揮する力について考えて見よう。百万円が、1円しか持たない人々(百万人)に1円ずつ配られたとすると、その人たちの喜び(効用、エントロピー)の総計は、1,000,000(百万)である。
百万円が1人に集中している時には、百万円が百万人に分散している時に比較して、大まかに言って、喜びが6減って1,000,000、増えることの出来る“力”を持っていることになる。
 逆に見ると、百万円という額までお金を集中するには、百万人から嬉しさ(効用、エントロピー)を1ずつ取り上げて、一人の嬉しさ(効用、エントロピー)をたったの6だけ増やすという“操作”が要ることになる。その又逆が、先述のバラマキで、百万人の人を1ずつ喜ばす“操作”である。


 考えるまでもなく、集めるのは大変、バラマクのは簡単、である。同じお金の量でも、エントロピーはバラマカれた状態で大きく、集中した状態で小さいことは、上記の通りであり、一般に、“エンロトピーは増える方向に変化が起こる”のである。
 税金で庶民からお金を徴収するのは、多くの人の嬉しさを取り上げて、お金を集中して、政府が適当な方向に、喜びを選択的に配分して国の現在、未来の動きを操作する事である。折角集めておいて、そのままバラマクのでは、集める手間だけ損だと思わねばならない。


 もともとエントロピーは熱エネルギーの希薄さ、集中度について考案された概念だから、ここで、エネルギーについてのエントロピーについても上記のお金の効用と同じ扱いで理解できる事を見ておこう。
エネルギーの集中度とは取りも直さず、物体の温度、のことである。ある物体が、熱い、ということは、冷たい、時より多くのエネルギーを吸収して持っているからである。温度の高い状態に集中した熱エネルギーは、自然に温度の低い分散した状態に移る、“ものが冷める”ことは自然に起こるが“温まる”ことは自然には起こらない。勿論、ものは温めれば、“温まる”けれども、温めるためには何処かで何時か、もっと温かいものから熱を取り上げておかなければならない。


熱と並べて、物の密度、もエントロピーを用いて、密度の変化の作用の大きさが表現される。密度とは物がある決まった体積の中にどれだけあるか、という指標だから、密度の逆は、物1個の体積、である(物1個というのは任意で100個を基準にしても、国民1億人を1人と見ても良い)、密度のエントロピーは通常は、体積を“数”としてその“数の桁”が、変化の指標、すなわちエントロピーとされる。アルコールが1%水に溶けている時と1ppm(百万分の1)溶けている時では、水の中のアルコールの濃さは1万分の1である。逆に見ると、アルコールの分子1個あたりの“体積”は1万倍に増えたとみなせる。この“数”の桁はお金の時に考えた10倍毎に桁が上がる方式(10進法)では無くて、自然対数の底と呼ばれる、e = 2.71828、が使われる、つまり約2.72倍毎に桁が上がる方式である。1万倍の体積になった時のエントロピーの増加は、10進法なら前述の通り4だが、今度の方式では、約9.2である。濃い溶液は薄まる傾向にある、という事はエントロピーが増える事に対応しているので、濃度が1%から、1ppmに薄まるという変化が、エントロピーが9.2増えるという数値で示されるのである。


情報の濃度もエントロピーが指標にされる。情報、というと難しそうだが、例えばサイコロの目のどれが出るかの確率なら、どの目も1/6の確率である。100個の目があるサイコロなら、確率は1/100である、確率が低いという事を情報の濃度が薄い、と見れば、今度も、濃度の逆は体積に類する“数”である。情報の理論ではこの確率の逆数である“数”そのものではなく“数の桁”をエントロピーと呼んで、情報の質の指標とする。エントロピーの大きい情報とは質の低い情報である。
しかし、サイコロの一つの目(仮に1の目とする)に注目すれば、1の目が「出る」という目的に関しては、エントロピーはlog6と大きいが、見方を変えればこれは、1の目が「出ない」という情報としては、確率が5/6と大きいのである。従って「出ない」に注目すればエントロピーはlog6/5となり大きくはないのである。すこしヤヤコシイがサイコロを一回振る時の1目のでる確率は1/6出ない確率は5/6だから、「出る」のエントロピーと「出ない」のエントロピーとにこれをそれぞれ掛けて、平均のエントロピーを求める、というエントロピーの表し方が出来る。「2種類以上の元素を混ぜ合わせる時に使われる“混合のエントロピー”とこれは同じ概念である。このような、「出る」と「出ない」の両方を勘案したエントロピーについては後記の(2)にも触れている。

Written by Shingu : 2010年09月25日 15:14

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