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この世はインターフェイスか?- ALL OR NOTHING -

(界面科学技術機構誌「INTERFACE」より)

界面科学技術機構誌「INTERFACE」刊行10周年にあたる本号に寄稿させて頂けることは誠に身に余る光栄です。この機会に先ず、自然科学、人文科学を問わず、異種の物事があってこそ世界が成り立ち、異種の事柄の間には必ず界面がある事を考えると、常に本誌を通じて、界面の意義に我々の注意を喚起し続けてこられた村瀬平八氏に心から敬意を表すとともに、事業の更なるご発展を祈る次第です。

さて、異種の事柄の間には必ず界面があるという見方を更に進めると、二つの事柄のどちらでもない領域が界面とは呼ばれるにしても、それは厚さの無い場ではなくて、2種の事柄が混ざり合う無限の可能性を持つ領域であると見ることができる。そうなると、むしろ2種類のどちらかである、という純粋状態の方こそ、可能性がそれぞれ0の単純な領域である、という扱いができるかも知れない。このような見方について少しく妄想を述べさせて頂きたいと思う。

ある国の政府の責任者が、さる大国の大統領との交渉事に臨んだ時に、大統領の提案を受け入れるか否か「イエスかノーか (YES OR NO)!」と明確な返答を迫られ、どうにも困り果てた末に「オ、オ、オ、・・・OR!!」と答えた、というジョークが一昔前に語られたことがある。

YESかNOかという単純な状態を選択せよ、というのは交渉でなくて命令であると見るのが常識であろうから、かの国の大統領側がこの会談では謝るべきだというのが論理的な結論である。限りなくYES に近いNOもあれば、その逆のYESもあり、それらの中間の答えもあり得るだろうから、無限の可能性の中で有限個しかない選択(つまりイエスとノーの二つ)を迫ることは、答えの得られる可能性は2/ = 0と見るべきであり、ORこそ最も論理的、つまりインターフェイス的答えと言えるである。このジョークが誰からも“うける”のはそれが常識的なイエス・ノーの論理(二値論理)の欠点を衝いているからである。

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Written by Shingu : 2011年01月28日 14:11

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