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原子炉事故とこれからの社会

 【芦屋倶楽部3,4月号:3月25日発行】(2011/03/15取材)

『未曾有の東日本大地震の被害とエネルギー論』

~新著「節約と幸福」で警告した新宮秀夫・京大名誉教授に聞く!~

3月11日午後、東北・関東地域を襲ったマグネチュード9.0という未曾有の「東日本大地震」が発生した。この大地震の直接的な被害や予想を上回った大津波の影響で、太平洋沿岸を中心に約2万人近い人々が尊い命を失ったほか、東京電力福島原子力発電所の大事故による放射能被害も重なって、歴史上でもかつてない大災害の行方が世界中の人々から注目を浴びている。

このような日本を直撃した今回の大地震は、まさに自然災害の恐ろしさを痛感させたと共に、当初予想出来なかった「原子力発電の事故」の被害など、今後も大規模な社会的再建や復興工事を前に、地球規模の「環境破壊」や「自然エネルギーの浪費」を反省させる警告とも言えるようだ。今、たまたま大災害を前に、人口急増など人類社会の危機が迫っている大きな教訓や悲感的な見通しが強い中で、果たして今回の自然災害の傷跡を前に日本人がこの危機を乗り切れるのかどうか、まさに未来社会の在り方を問われている。
たまたま3月12日、大地震の直後に開いた「エネカン集会」(エネルギー環境研究協会主催)の講演で、長年、現代人のエネルギー浪費を警告して来た京大工学部名誉教授の新宮秀夫氏に、今回の大災害の影響や未来の日本社会の生き方、方向付けについて改めて伺ってみた。

【今回の大地震のエネルギーは過去最大級】

[問] 太平洋沿岸部で起きた地殻変動による巨大なエネルギーが大陸棚に沿って、長さ600キロ、幅200キロの範囲で放出されたそうですが、今回の大地震について、長年、エネルギー学と環境論を研究されてこられた立場から、どのような印象をお持ちでしたか。

[新宮] 私は、地震学者でも自然災害の専門家でもありませんが、地球が誕生して以来、宇宙のメカニズムのなかで、こうした地殻変動のサイクルは避けようもないと思います。数千年の単位で見れば、このような天災は、いつどもどこでも起こる可能性がある訳です。

地震のマグニチュードMと言われているものを調べると、震度の指標はリヒタースケールと呼ばれ、Mが1増えるとエネルギーが31.6倍になります。2増えると31.6×31.6で1000倍になるのですね。大正12年(1923年)の関東大震災はMが7.9でしたから、今回のM9はエネルギーが約45倍だった事になります。この程度の事件は地球の歴史からみれば、ほんの些細な事であるのは明らかですから、自然界では何が起こっても不思議でない、と受け取るべきでしょうね。

私たちは、今回の大災害や原子力発電所で起きた事々にたいして、必要十分な備えをしていると思い、そのように、教えられていましたが、そのような想定が如何に容易に覆るのかと、痛感させられました。私も学者、研究者のつもりで今まで暮らして来たのですが、常に「実は何も分かっていない」のだという態度を忘れてはならないという教訓を改めて得た気持ちです。

【原子力の利用の怖さと共存】

[問] 今回の「東北関東大地震」の事故の影響で、かなり深刻かつ危険な状況が報道されている上、将来的に日本の原子力利用政策について、国と福井県が設立した若狭湾エネルギー研究センターの元所長だったご経験を通じて、何か原子力問題に警告すべき点があれば、お教え頂きたいのですがー。

[新宮] 私の勤務していた研究所では、放射線など医療関係の利用を主に、太陽熱を含むエネルギーの利用、応用について研究していたもので、原発とは直接には関係していませんでした。しかし研究所は敦賀にあり原発が近くに何基も稼働している場所ですから、今回の事故には強い関心があります。今回の大事故を見ると、地震、津波、については、その規模が想定を遥かに超えていたとしても、天災だから被害は仕方がない、と人は思わざるを得ません。しかし原子炉については、天災に対する備えの不備、災害後の処置が全くの後手々だった事、を人は“人災”見ると思います。確かに、後から調べれば適切な処置さえしていれば、大事故には至らなかったと言えるでしょう。しかし、だからといって現場の人を責めても空しいことです。胸に手を当てるまでもなく、どんな些細な事でも、当然と思える適切な処置が滅多に出来ないのが人間なのです。

  科学技術の発展には、常に人間の過ちや手違い、が付いて来ることは避けられませんね。元々、原子爆弾から電力開発の応用に至る過程は、科学的に未知な領域も多くて、今回の事故を見ても、その道の専門家でも正確な対策方法や経過措置などで「初めての経験」となり、指導者たちは、見るも哀れなドタバタ騒ぎをしているように見えます。これが人間というもの、と受け取るべきでしょう。

今後は、世界中から日本社会の対処力が試されている状況を考えると、冷静に個々の日本人が“人災”は自分を含む全員の責任である、と思って覚悟を決めて立ち上がる以外に方法はないと思います。具体的には、原子炉事故の後始末に何兆円もかかるでしょうが、電気を今まで1ワットでも使った人が全員今回の事故責任があると思うべきです。ですから、住んでいた場所から避難させられた人々の生活費まで含めた対策費は今後何十年でも、全部、電気代に加算して我々が払う必要があります。結局、原子炉による電気は高くつく。化石燃料による電気代も、大気汚染が本当に深刻になれば、もっと高くつくのかも知れない、という認識を持たねばなりません。

  答えは唯一つ、高いエネルギー代を払うのがイヤなら普段から「倹約するしかない」。太陽光、風力、水力・潮力など自然エネルギーは、原子炉による電気代の10倍近くする、なんて言われて嫌がられて来ましたが、そうは言っていられないでしょう。自然エネルギーの利用できる量は、今は限られていますが、量そのものは、十分にあります。これからの工夫が期待されますが、原子力や火力のように、集中して便利に手にいれる事は,如何に工夫が進んでも難しいでしょう。そこを工夫するのも、やり甲斐ある仕事だと思えばよいのですね。

【人類は、生き延びてこそ、幸せがある】

[問] 私たち人類は、人口爆発によって40年後には約100億人を超え、開発途上国を中心に「大量消費、大量生産のメカニズム」の道を進み、世界中の資源が枯渇する事態も予想されている。果たして今回の大地震の影響と日本人社会はどのように変わるべきか。長年、エネルギー論を研究されている新宮先生は、この国難という危機下にある日本人は、今、何を求めて新しい社会の仕組みを目指すべきか、最近の著作「倹約と幸福」を参考にお話し下さい。

[新宮] 自分自身を反省していますが、石油を始めエネルギー資源を巡る世界的な政治的、経済的、民族的な紛争の根源には、自己の「欲望」や自由勝手な文明化論が横行して、常に現代社会が「豊かな社会」を目標として来たこと、つまり無秩序な欲望を野放しにして来たことがあります。この際、大きな反省と生活上の工夫や見直しの必要性を問いたいですね。つまり、すでに多くの哲学者や有識者が指摘しているように、間もなく人口100億人に迫る地球上の人類にとって、我々が必死に追い求めて来た「豊かな社会」が果たして、幸せな社会なのか?という疑問です。

  昨年書いた「倹約と幸福」という本の根本的な考え方は「感動は前進、満足は後退」という標語に示されるように、満ちたりる、豊かである、ことは、人の幸福感にとって大敵である、ということです。西洋の諺にあるように、空腹は最高のシェフ、なのですね。小学2年で終戦を経験した私は、食べ物が極度に乏しい時代を知っています。ある日、お袋がどう工面したのか卵を2個手に入れて、姉2人と妹と私4人に、ゆで卵を1人半個ずつ食べさせてくれました。あの時の、嬉しさ、美味しさ!これを60数年経った今でも鮮明に思い出せます。勿論、お袋の分は無かったと思います。こんな幸せを今の子供が経験出来るでしょうか?それが難しいのは、豊かすぎる、からです。

  この本の巻頭で「エネルギー大量消費の技術を知ってしまった人類が存続する道は、倹約以外にない。人類が生き延びてこそ幸福がある。地球規模の繁栄を求めてやまない時代において、未来の人間のあるべき姿と本当のしあわせを、真の倹約精神に求めるべきだ」と説明しております。本の第3話からも「安い電気代を望んだツケが,事故である、と認識しなければならない。1ワットでも倹約すれば、それだけ事故の元である原子炉や火力発電所は減らせる」ことを改めて思い知らされる気持ちです。

「倹約と幸福」の冒頭には、良寛さんの教え「しかたがない」という心のあり方を紹介しました。良寛さんが71歳の時、新潟・三条で大地震が起きた際、被災した人々の惨状を見て「長生きしようと思って努力してきたが、こんな悲惨な有様を見ると涙がとまらない」と嘆き悲しんだ良寛さんは、同時に「災難に逢う時には、災難に逢うのが良いのです、これが災難を逃れる妙法です」と語っています。今度の天災とそれに続く“人災”を見てつくづく、何が「しかたがない」のか、何が「しかたがない」では済まないのか、が実感されます。目先の利便性にかまけて、将来世代に禍根を残すような行動、判断は、決して、「しかたがない」と言ってはならないのですね。

【日本を救う道は、倹約精神を】

[問] 最後に、かつて地球温暖化に歯止めを掛けようと、世界各国が集まって「京都議定書」という削減目標を基に、世界各国で具体的な削減には賛否両論で混乱しています。本来、エネルギーコストは、安心・安全を代償とするならば、「現在の電力料金のコストは、むしろ多少、高くても仕方がない訳」で、この際、世界のエネルギー資源を有効に生かすため、今、人類にとって最も大切なことは「倹約精神」にあるのですね。

[新宮] そうです。東北関東大地震が起きなくても、私は、現代の地球社会がエネルギー資源を無制限に浪費する問題にメスを入れるべきだと主張して来ました。10年前には「幸福ということ」という本を書き、古今東西の哲学者、宗教者、文学者などによる「幸福論」のレビューを作ると共に、社会工学者の立場から独自の視点から論じたつもりです。
しかし実は、そのような難しそうな「屁理屈」よりも、孫、子、の時代にも続く持続的社会を実現するには、「良いものは高価であるが,長い目でみれば経済的である」という知恵の一言で十分なのです。目先だけ安価な原子力や化石燃料への依存度を下げるために、エネルギー料金を大幅値上げして、我々はそれを我慢するべきなのです。

エネルギーが手に入り難く,大切に使わねばならない事は人間が幸福に生き続けていくために自然が与えてくれた素晴らしい工夫です。もしエネルギーが使いたい放題であれば,人類はより幸福になるどころか、仕事を失い,頽廃(たいはい)の中に,せっかく人間に与えられた幸せを得る可能性を捨て去って,ついには生き続けることさえ危うくなるのだと理解しなければなりません。

端的に言えば楽しい事ばかりの世の中が一番不幸なのであって、倹約を最大の資源と見て,エネルギーをつましく使い,仕事の苦しさに耐えて生き続ける社会こそ人間の本性すなわち,自然の営みに沿った持続可能で幸福な社会なのだと、今の未曾有の事態から学ぼうではありませんか。(了)

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付記:エネルギー料金を今の何倍にも上げるべきだ。と述べると必ず、そんなことをしたら、貧乏人が割を食らうからダメだ。という意見が出ます。そこに、工夫はいくらでも出来ることに気づいて欲しいです。

電気料金を例にとれば、国民皆に1人が一定量の電気を低料金で使える権利を配分するのも一案です。毎月50kWhまで安く使う権利が貰えるとして、我慢して20 kWhでひと月をしのげれば、余った電気使用の権利を、贅沢に使いたい人に売れることにしておけば、皆が頑張って節電するでしょう。5人家族で頑張れは、大もうけ?出来るかも。

つまり、アダムスミスが「国富論」で主張した“己の利得を考えた結果として、社会全体の為になる行為をする”という“見えざる手”を活用したメカニズムが期待できるのではないでしょうか?

参考:『幸福ということ』(NHKブックス、1998年)、『黄金律と技術の倫理』(開発技術学会、2001年)、『倹約と幸福』(小学館101新書、2010年)など。

Written by Shingu : 2011年05月07日 14:43

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