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節約党宣言 - Manifesto of the Frugality Party

 A spectre is haunting in the World −the spectre of consumerism. All the powers of the World, all the countries on earth, have entered into a holy alliance to exercise the doctrine of this spectre, to buy more, to waste more.

 Where is the country which has not been enticed to the consumerism? Where is the voice of keeping the world wide traditional way of frugal life that has not been silenced under the branding reproach as hindrance to the social progress.

Two things result from this fact:

 1. Frugality is the only way for the human being to survive continuously on this planet earth. This simple fact is understood by every people world over at least deep in mind.

2. Frugality must openly, in the face of the whole world, be talked, published and appealed through every available method, for its necessity, its consequences and the reason why it has been in the past, it is now and it will be forever, the principal philosophy of happy life. Now is high time to have the spectre of consumerism be contained and ostracized from the world.

 To this end, following Manifesto of the Frugality Party has here been written, in the Japanese and English languages, to be publicized.

Hideo Shingu   2012.12.04


 妖怪が世界を牛耳っている − 消費主義の妖怪が。世界中の国々が同盟を結んだように、この妖怪の行動規範すなわち消費活性化を一致団結して押し進めている。現在、消費を奨励しない国が世界のどこにあるだろうか?太古から世界のどの場所でも続いて来た伝統的な倹約の社会を守ろうという声は必ず、文明の進歩を妨げるという一言で、時代遅れ、の烙印が押さるのである。

 二つの事があきらかである。

 1. 節約主義は、それ以外に人類の存続を守る方法がないことを、心の中ではすべての世界の人々から認められている。

2. 節約主義は、過去も、現在も、そして未来においても、常に世界で第一の生活哲学である。いまこそ堂々と、この心の奥の声を、なにはばかることなく広く主張し、出版し、あらゆる情報手段を用いて、これが再び世界の常識になるように、節約党宣言を発表すべき時である。消費主義の妖怪は即刻とらえて世界中の社会から放逐せねばならない。

 この目的のために、下記の宣言・マニフェスト、が日本語と英語とでここに起草された。

新宮秀夫 2012年12月4日


1.生物としての人間

 節約党の最終目的は、生物としての人間がこの地球上で、自然条件の許す限り、できるだけ長く持続的に幸せに存続できることである。この目的が如何にして達せられるかを考察するための第一歩は、人間がどれ位のエネルギーを刻々消費しつつ生きる生物であるか、を知ることである。

 基礎代謝量(BMR)、として知られる、成人一人が食事から得ている1日当たりのエネルギー消費量は、約2000キロカロリーである。これは、1秒あたりに換算すると、およそ100ワット(ジュール/秒)となる。馬ではこれが750ワットであり、大型の発電設備一基が100万キロワットの電力を生み出すこと、などと比較すると、世界人口70億人が刻々消費するエネルギー、約7億キロワットが如何に大きいか理解できる。

 人間は先ず食べてこそ生きられるのであり、食べる、という必要最低のエネルギーでさえ、このように全世界的に見ると、それを如何に供給できるかが問題なのである。しかも、今の消費主義の世界で実際に、人間が消費しているエネルギー量は約100億キロワットに達している。江戸時代の医師で思想家であった安藤昌益が著書「自然真営道」に書いた通り、人間以外のすべての動物は、自分が生きるための食事量、すなわちBMR以上のエネルギー消費はしない。人間だけが生きるための必要限度をはるかに超えるエネルギー消費をして暮らしているのである。そのような人間の生活様式が、どんな結果を招いているか、これから招くことになるか?またそのようなエネルギー大量消費が果たして人間の生活の幸せにどのような結果を生んでいるか?これらを今、深く検討して今我々が取るべき行動を判断することが、最終目的の達成のための必須の条件なのである。

2.エネルギーと環境

 生物としての人間は、太古から何億年の間に形成されてきた自然環境に適合する条件で健康に生活できるようにゆっくりと進化してきた。自然メカニズムによる環境変化は生物がそれに適合して進化できる程度のゆるやかさである。しかしながら、人間が化石燃料エネルギー大量消費を始めてから過去100年足らずの間に大気中の二酸化炭素量は約30%も増加している。自然放射能も太古からなん億年もかかって次第に現在の低レベルまで減少して来たが、原子エネルギーの利用による放射性元素の活性化は、再び人間の寿命をはるかに超える長期間の管理(管理できればであるが)をすべき放射性廃棄物を生んでいる。このような急激な環境変化を生じるエネルギーの利用状況を把握するために先ず、人間に関係する、エネルギー供給と需要の概観を見よう:

 100,000,000,000,000 (百兆)kW :(太陽から地表に常時受けるエネルギー)
     10,000,000,000 (百億)kW : (人類が常時消費しているエネルギー)
        700,000,000 (7億)kW: (人類が生きるために必要なエネルギーBMR)
         1,000,000 (百万)kW : (大型発電設備一基の発電エネルギー)


 地球上の生物はいずれも、およそ30数億年前と見られる原始生命の発生以来、太陽からその生物が生存している期間に受けとるエネルギーによって生き続けて来た。化石燃料の利用は、過去に地上に降り注いだ太陽エネルギーの蓄積を今の時代に急激に利用する事であり、原子エネルギーは宇宙創生期に形成された原子種の破壊・融合によって得られるものである。いずれも、そのエネルギーを使用した者の生存期間内には元に戻せない種類の廃棄物を発生する。始めに記した人類の今後長期にわたる存続を願う目的から見れば、未来世代に処理を押しつける必然性のあるこれらのエネルギーの利用は極力避けるべきなのである。倹約により、全人類のエネルギー使用量を上表のBMR に近づける努力をなすべきであり、価格が如何に高くついても、自然の恵みである太陽エネルギーの活用に全力を注ぐべきなのである。

3.自然のルールと人間の幸せ

 「贅沢はすてき!」という言葉が節約党の標語である。人間は太古から他の生き物、あるいは同じ人間を相手に、激しい競争、闘争を生き抜いて存続してきた。少しでも周囲と比較して豊かに、余裕をもって生きていことの実感がすなわち、贅沢、であり贅沢感は幸せ感につながる。

 この見方はおよそ世界中で共通であるが、根本に横たわる重要な二つの要素への考察が近来無視されて誤った方向への努力がなされている。すなわち、物質的不足を無くし、より多くの物質をより容易に入手できることを目ざすことが一つ。もうひとつは、仕事をなるべく楽に労働時間を短くして、リクリエーションの時間を多く供給して、精神的なゆとりをこしらえること。この二つの条件が、万人に贅沢を提供する手段である、という目的達成の道と全く逆の行動目標を世界中の国々が掲げているのである。

 ギリシャの哲学者アリストテレスは二千年以上昔に、リクリエーションが目的の生活は幸せではない、と明確に記している。余暇は、からだと氣持ちをリフレッシュして仕事に励むためのものであり、仕事が目的であり人生の楽しみでなければ、長い一生の間で幸せな時間の、割り合い、が少ない事はそれを指摘されれば誰にでも分かることである。

 また人間が喜びを感じる、その感じ方についても、具体的、解析的な説明がダニエル・ベルヌーイによって1738年に提示されている。それは、所持金が増えるほど、単位量の金額を受けとる喜びは減少するという式の提示であった。何物か何事か、喜びの原因となる事柄を、ありがたい、嬉しい、と感じる“効用”の大きさと、所持金の量との関係を考察した結果。単位量の金額を受けとる喜び、効用、は所持金額の逆数に比例して減少するという事実の提示である。

このような人間の感受性の規則性は、その後、ウェーバー・フェヒナーによる刺激に対する感知力が、それまでに受けている刺激の大きさに逆比例することに起因する、弁別閾値増大、の実験結果に示されている。さらに具体的な提示は、新古典派経済学者達によって19世紀になされた。これは受けとる一単位の利益の効用が、すでに得ている利得量に逆比例するという、限界効用逓減の法則、として知られている。

 贅沢とは、何物か、何事か、を受けとり、そこに大きな感動を味わうことなのである。節約は、すればするほど、大きな感動、贅沢、を享受できるのであり、無駄な贅沢をすればするほど、贅沢の幸せから遠のくのである。いいかえると、感動は前進、満足は後退、である。人は物質的にも精神的にも、満たされれば満たされるほど、感動を得ることが困難になり、幸福から遠のくことを心に留めなければならない。端的に表現すれば「贅沢はすてき!」の標語はとりもなおさず、「節約こそ贅沢を味わう最良の手段である」ということなのである。

4.具体的な手段

 以上で、エネルギー消費と環境の観点からも、幸せ感の理論からも、節約こそ如何なる時代にあっても人類が、幸せに生活しつつ、存続していくための必須条件であることが示された。
 しかしながら、人間には、目先の利得を最優先して行動する本性がある。この本性こそ先述の通り、人間が今日まで生きのび、繁栄できてきた、という結果をもたらした駆動力なのである。中国古代の哲学者、荀子の書にある「人の性質は悪であり、人はすべて生まれつき利を好む」という文章は端的にこれを明示している。また、イギリスの思想家、マンデヴィルやマルサスなども、個人の悪(すなわち己の利を最優先する活力)こそがダイナミックな社会を生み、結果として公益に貢献することを指摘しているのである。

 しかし、アダム・スミスが著書「国富論(1776年)」に述べた思想にしたがって、規制をなくして私利に向かう行動を野放しにすれば、大量消費の社会が生まれる。スミスの時代程度の、小規模な経済活動の社会のモデルを、大規模なエネルギー消費が可能になった現代に適用をしてはならない。それを続けよう、という現在の世界の国々は、技術が如何に進歩しても避けられない、エネルギー大量消費の結果生まれる、廃棄物や環境破壊に目を閉じる態度をとっているのである。現実を直視できずに、今の経済活動を続けようとすることは、分かっていながら自分で自分を説得して騙す、という幸せを放棄した最も忌むべき行動なのである。

 ここまで考察すれば、節約社会を実現して、幸福な社会を築くための具体的な思想のガイドラインは、人間の良心、公徳心、という最も尊く、美しい性質に頼るのではなく、私悪の心すなわち、競争、闘争に勝ち抜く活力の利用による他にないことが明らかになって来る。行動のガイドラインは当然ながら、節約の実行が個人の利益となる方策の実施に尽きる。

 節約が利益につながるとは、どういうことか?答えは簡単で、たとえばエネルギー料金を大幅に上げることである。地面を掘ってそこから吹き出す石油は簡単に手に入り安価である。太陽エネルギーの量は十分にあるが、希薄に地上に降りそそぐため利用までに手間がかかりコストが高くなる。前者を使って人類は幸せを失って自滅するのか、苦労して後者を利用して、長く未来世代も含めた幸せを掴むのか?選択の余地はない。エネルギー料金が高ければ節約する甲斐があるから、皆が誰に説得されなくても節約するのである。エネルギー料金が高騰すれば、経済が停滞して皆が不幸になる。
という短絡的な考えは誰にでも頭に浮かぶ。そのような簡単・単純で無責任な答えしかできない者が、ホモ・サピエンス(優れた知恵の人)を自称する人間と言えるであろうか?それは、ガリバー旅行記に書かれたヤフーのいうセリフであり、ホモ・サピエンスなら、努力の必要な幸せの生活を選ぶのは当然である。節約により破綻する経済システムは、本来あるべきシステムではなかったのであるから、破綻させて、節約の下で活性化する経済システムにするのが正道である。

  環境を破壊する化石燃料や原子エネルギーの利用をやめて、太陽エネルギーに頼るべきである。となると、環境を汚さない新しいエネルギー源を見つけることができればどうか、技術の進歩でそれは可能であろう、という意見がでる。宣言の主旨は、そのような考えが全く間違っていることをも含んでいる。もし、環境に影響なく、安価で、無制限に使えるエネルギー源があれば、人々は苦労して働く必然性がなくなり、安易な生活におぼれ、頽廃に陥って、短期間で破局にいたることになる。生きるための努力が必要であることこそ、人が持続的に、幸せに、生きることを可能にする絶妙な自然の摂理なのである。

 節約さえすれば、自然は豊かであり、ありあまる恵みと美しさの感動を、太古から変わりなく、今も、将来にも、生物の一種としての人間に与えてくれる。そして、消費にひたりながら、未来世代の社会の存続について、そこはかとない心配をする必要もなくなるのである。

節約党万歳!!

Written by Shingu : 2012年12月04日 20:49

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