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“ハッピネス” 講義2011-2012 サマリー 京都大学国際教育プログラム(KUINEP)

Introduction

Selig ist der Mensch,
der mit sich selbst in Frieden lebt.
Es gibt auf Erden
kein grӧsseres Glück.

Matthias Claudius

心のやすらぎをもって生きる人は
幸せです。
この世で、
それ以上の幸運はありません。

マシアス クラウジウス


心が平和、平穏、であることが望ましいのですが、ではどんな生活がそれをもたらしてくれるのでしょう?この問いかけ、とそれが幸福とどう関係するのか、について考えることが昨年10月から今年1月まで続けたこのハピネス授業の主題でした。古今東西の人々がこれをどう考え、理解しようとしてきたか調べ、考察して来ましたが、改めて総括して見ましょう。

心のやすらぎ
 心のやすらぎ、は、心のやすらぎ、をもたらしてくれるでしょうか?幸福とはなにか、という問いの根っこに、この疑問があり、それが幸福について考える事が難しい理由だといえるでしょう。
 「倹約と幸福」の第6話では、人間の体も心もストレスがないと健全な状態を保てない事を知りました。普通は、体の休息、こころのやすらぎ、は望ましい状態なのですが、それらはストレスの少ない状態ですから、それが続くと逆に体も心も、穏やかでない状態にすぐに落ち込んでしまうのです。

苦痛と退屈
 ドイツ人哲学者ショーペンハウエルの“処世訓”(新潮文庫に、幸福について、という題で訳本あり)には「幸福の最大の敵は、苦痛と退屈、である」と書かれています。
 これは、はなはだ分かりやすい。きつい仕事している時には、休みが欲しい~、遊びたい~、と熱望している人も、毎日が日曜日、となると、誰か相手になって~、オレすること無い~!という状態になる。テレビを見ても、旅行をしても、グルメ料理を食べても、一向に氣が晴れない。自慢話しも、だ~れも聞いてくれない・・・。となりますね。

満足
 目的の達成、は満足をもたらします。で、満足したら満足なの~?という問題がすぐに発生です。さんざん魔女に意地悪されたシンデレラは王子様と一緒になれて、その後幸せに暮らしましたとさ、で話しが終わります。その後どうなったかは童話には書かれていない~・・・。何故童話はそこで終わるのかは、満足、という感情が実は問題を含んでいるから(日本語になってる英語、プロブレマティック)なでしょうか?満足を求めて頑張れる時代こそ幸福なのか~?

びっくりしたい
 明治の文豪の一人とされる国木田独歩に“牛肉と馬鈴薯”という短編があります。明治紳士数名が一夜飲みながら歓談している、遅れてきた一人が皆から生きる目的をたずねられた形になり、一言「びっくりしたいのです!」と心の底からの願望を述べて笑いものになる・・・。というようなお話しです。
 
 物事が期待通りに運ぶと我々は満足します。たとえば、技術者が自分で設計した機械とか工夫、企画や理論が思った通りに実証されたら大喜びです。けれども、それらが完全な失敗だったとして、その結果、思いもしない新しい発見ができたら、大喜びどころではない、一生の生き甲斐を感じることができるでしょう。びっくり仰天!です。
 授業の中で、我々は歴史上の多くの人々の言動について知りました。それらは、我々の祖先が示してくれが、びっくり、の記録です。我々は、たとえ自分では、びっくり仰天、を経験することがなくても、普段から世の中の、あたりまえ、に慣れすぎて、本当に正しい意見や理論を見過ごしてしまわないように氣を付けるようにしたいです。びっくり、の中にあるハピネスを見逃したくないですね。皆が黒を白だと言っても、自分で白は白だ、と言う人、言った人もいるのです。世の中が皆曲がっていれば、自分が真っすぐでも曲がって見えるでしょう。でも、世の中につれて、自分も曲がってしまえば、幸福はありません。
(Mozi: 墨子、少見黒曰黒、多見黒曰白。Great Straight Looks Crooked: Laozi老子45章:大直若曲)。

倹約
 終わりに、消費活性化、という、いつも新聞で見る今の世の中のキーワードについて考えて見ましょう。
 使えるものを捨てて、不要のものも買う。ということを学校で教えるべきでしょうか。歴史上、国民に贅沢をしなさい、と指導した国はないのです。贅沢をしても、少しも贅沢の嬉しさをエンジョイできないのが人間の本性のようです。倹約をしてこそ、贅沢が嬉しい。矛盾してますね?人間の本性の基本には、このような矛盾があります。これは、不思議な、そして何事につけても現れる自然法則です。数量が多ければ、その数量を、たとえば、1割増し、にするには、多くの数量を加える必要があります。数量が少なければ、ちょっとの数量を加えれば、1割増し、にできます。幸福は、数量そのものではなくて、割増し率で感じるらしい。だから、倹約の生活こそ、幸福が得られ易い、という理屈になり、それは我々の持つ本性なのです。
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幸福とは何か、という質問にたいして、あちこちに書かれている馬鹿げた答えの例。
*幸福は個人の問題だから、人の数だけ違った幸福があり、一般的に幸福を論じることはできない。*幸福について考えない時が幸福である。
*自分は幸福だから、幸福について論じることは不要。
*幸福は複雑な心理だから、論じてもムダ。

簡単に納得することは、安易な道であり、折角の人生をムダにする?
自分の考えに疑問を感じる心を持ちたい。 感動は前進、満足は後退!



矢と歌 H. W. ロングフェロー (1807-1882) アメリカの詩人

おおぞら に向かって矢を放った
どこに 飛んでいっただろう
矢の行くえ など
目で追える ものではない

おおそら に向かって歌をうたった
どこに 消えていったのだろう
どんなに 目が利くといっても
歌のゆくえ が見えるはずはない

ずっと、ずっと あとになって 私の矢が
樫の幹にしっかり 刺さっているのをしった
そして おおそら に向かってうたった歌は
友のこころに すっかり残っていた

I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.

I breathed a song into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?

Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroken;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.

(たくさんの矢を放ち、うたを歌えば、それだけ幸福もふえるのでしょうか?)


聞(き)くたびに 珍(めすら)しければ 時鳥(ほとときず) いつも初音(はつね)の 心地(ここち)こそすれ

Every time I hear Hototogis sings, it sounds so nice and I feel like I’m listening to it for the first time.

永(よう)縁(えん)僧正(そうじょう) (1056-1125)  (金葉集113) Monk Yowen (1056-1125)

ほととぎすは、いつ聞いても、びっくり、できる。自然は素晴らしいですね~。
すがたと鳴き声、聞いたことありますか?URLを下記しました。
http://www.youtube.com/watch?v=qL18_oco0DY&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=iH6UAfbDsP8&feature=related

幸福論{ハピネス)、英語全文は下記サイトにあります。
http://en.enekan.jp/archives/2013/01/happiness_memo_1.html
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Written by Shingu : 2014年06月10日 16:01

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