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宗教・科学・哲学 Part2(「謎(なぞ)」の素顔)

全国日本学士会誌:アカデミア149号 (2104年12月発行)に掲載

はじめに

少し注意すると世の中は「謎」に満ちている。解ける謎もあれば解けないのもあり大抵は「その内に分かる」と思えるけれども、金輪際(こんりんざい)解けそうにないものもある。

「樫(かし)の木が六本あるとして、五匹のお猿が同時にこれに登れるか?」という問(ナゾナゾ)は、子供をからかうジョークとして面白い。平行線は交わるか?という問は200年ほど昔なら、お猿のジョークと同等だと人は思ったはずである。つまり、初めのナゾの答えが「難かし御座る(六(むつ)樫(かし)五(ご)猿(さる))」であるのと同様に後のナゾもソレ無理や~、という筈だった。

 今では、ギリシャ時代に考えられた平行線が交わらないユークリッド幾何学の他に、リーマン幾何学(非ユークリッド幾何学)というのが考案されていて、こちらでは平行線は交わることになっている。

 リーマンとか言われるとオラ知らん、ショックは嫌、とだれもがそっぽを向くだろうが、一言でいうなら無限の遠方の1点から、高さ10メートルの樫の木の根モトとテッペンとに直線を引いたとしたら、木のまわりにいる我々(おサル)には上の線と下の線とは、間違いなく平行に見える。平行線は無限の彼方では交わっているのである。お猿のジョークをリーマン流に考えると、樫の木が無限本あって、お猿が無限匹マイナス一匹いた、としたらお猿は全部の木に確実に同時に登れる、ということに数学的にはなっている。つまり ∞ と∞− 1 とは同じ数 (∞) なのである。

 この例は我々が、とんでもない、と考える事柄も無限を手なずけると、案外なるほど、と思える手近な答えが出ることを示してくれている。いきなりジョークと幾何学とで失礼したけれども、世に溢れる謎を見つめなおして、すべての謎は一つの根元から出てくるのではないか?謎の素顔を見よう、という妄想を以下に述べさせて頂きたい。

sixorktrees.png

1 謎の三つの顔:因果、矛盾、無限

 いろいろな謎を枚挙して一々検討してもキリがないから、謎の発生する根元を上記の三つに絞ってみると、なるほど世の中のナゾは、どれもこれらの内の一つに関連している、という氣になれる。そこで、先ずこれらについて順番に考えてみよう。

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Written by Shingu : 2014年12月27日 14:41

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