現代語訳 日本永代蔵 第1巻 第1話
日本永代蔵(えいたいぐら) 井原西鶴(さいかく) 貞享(じょうきょう)5年(元禄(げんろく)元年:1688年)
第1巻 第1話 「初午(はつうま)は乗ってくる仕合(しあわせ)」-水間寺観音のご利益(りやく)
(エネカン語訳:エネカン冊子12号に掲載 2014年7月)
お天道樣(てんとうさま)は、なんにも文句いわずに毎日、毎年、日光を国中に恵んでくださってますね~。そして人間というものは、み~んな、正直で良いやつなのに、ウソ、いつわりの振る舞いも平気でやる。どうなってるんや~、と思うけれども、人がぜ~んぶ、みんな、真っ正直なまとも人間だったら、世の中、嬉しくも悲しくもなくなる。世の中が世の中でなくなるんだから、自然とはこんなもの、と見きわめて、人間らしくもあり・人間らしくもなく、世を過ごすのが良いのでしょうね。
それより、一生一大事、一番大切なことは、エライ学者も、どん百姓も、技術者も、実業家も、坊主も尼も、牧師もシスターも、神主も巫女(みこ)も、み~んな、みんな、始末(しまつ)大明神(だいみょうじん)のお告げを信じて倹約に励んで、お金を貯めることなんですよ・・・。お金って、親父、オフクロ以外に頼れるものはこれしかない。人間、ながく見ても寿命はいつか尽きる、ひょっとしたら今晩にもアウトかもしれない、光陰(こういん)矢のごとし、浮き世は夢まぼろしだ、といいますね~。死んで焼き場の煙になって昇天したら、せっかく貯めた財産もゴミ、廃棄物、と同じことになる。地獄の通行料を銀行預金で払うわけにもいきません。とは言っても、この世に残した遺族、友人の役には立つものでもあるんです。
およそ、この世間でお金の威力の及ばないものが五つありますけれど、それ以外の事はぜ~んぶ、お金で解決!なんですよ。お金は本当に宝ですね~、これ以上にありがたいものはありません。だからといっても、天狗のマジナイ(株投機)とか、儲ける力、なんて本を読む、とかが実際に役に立ったためしはありません。そんな、手の届かない願望は捨てて、儲かる近道は人それぞれ、自分の能力に応じた仕事について、まじめにせっせと働くことが一番です。お金持ちになるには自分の信念を堅く護って、氣をゆるめることなく信用を築き、世の流れに流されずに神仏を敬って生きることですよ。これが、先祖代々我々の生きてきた道なんです。
さて、毎年二月の初午(はつうま)の日に、大阪府の貝塚市にある水間寺(みずまでら)の観音様に参拝する習わしがあります。老若男女、身分もさまざまな人達ですが、誰も信心のこころで詣でるワケではありません。実は皆、欲と道連れでやって来るんです。二月という寒い季節、はるかな田舎道を踏み分けて、まだ花も咲いてないこのお寺に集まって観音様を拝む、その目的は、各々その身分なりに、お金儲けを祈願(きがん)するためなのです。
ご本尊の観音様にしてみれば、たくさんの参拝者それぞれの願いに、一々応対しているヒマもありませんから、鎮座(ちんざ)しておられる所から、
「この娑婆(しゃば)に掴(つか)みどりはなし:安易に良いことを願っても仕合わせになれませんよ、私(観音)に願をかけなくても、あなた方は、それぞれのお人毎に仕事に励みなさい。男は田畑を耕し、女は機(はた)を織って、毎日、朝夕、せっせと正直に暮らせるのが、最高とお気づきなさい」。
とまことに有り難い、お告げを仰(おお)せになるのだけれども、それが参拝者の耳にゼンゼン入らないのは、浅ましいことですね。
さて、世の中に借金の利息ほど怖ろしいものはありませんが、このお寺では万人が借金をする習慣があるのです。今年一銭、お寺から借りて、次の年に二銭にして返す、百円借りたら二百円返す、という具合です。なにしろ観音樣から借りたお金ですから、皆、一年のあいだ無事に過ごせたら、間違いなく倍返しを怠ることはありません。
ある時、お寺に年令が二十才過ぎと見える逞しい若者が現れました。徳川様の天下になって百年近くも経つのに信長時代の質素な着物を着て、脇差しを差し、おしり丸出しのファッションを平気で着こなしている人でした。他の人達とおなじなように、お寺のお土産品の山椿の枝と、苦い山芋の野老(ところ)を入れた編み上げの竹籠とを持って、参拝の帰り際の様子でしたが、借銭を行っているお寺の受付にスッと現れて「借り銭、一貫文!」と注文したのです。一貫は一文銭、一千枚、他の人がせいぜい十枚程しか借りないのに、一千枚借りたい、というわけです。受付の坊様は、参拝者の注文ですから、何も考えずにスッと一文銭が一千枚連なった輪っぱをそっくり、この若い田舎者に渡しました。若者は、あたりまえに受けとってすぐに帰っていきました。
さて、お寺ではその日の活動報告会議で、一人の参拝者に一貫もの銭を貸したことが問題になりました。お坊様の大方の意見は、このお寺では今まで一度も、一貫もの大金を一人に貸した前例はない。そんな大金が来年返ってくるなんて、信じられん。ということで、今後は大金を貸すことは禁止にしよう、と決議されました。
実は一貫文を借りた若者は武蔵(むさし)の国、江戸の小網町という日本橋川の川岸で船問屋(ふなどんや)をやって繁盛(はんじょう)している店の主だったのです。彼は水間寺の観音樣から借りた一貫文のお金を「仕合丸(しあわせまる)」と書いた銭箱に入れて、漁師が出帆(しゅっぱん)するたびに、子細(しさい)を話して百文づつ貸し出したのです。これが評判になって、このお金を借りると自然の恵みがあるんだ、と遠方から借りに来る漁師も出るようになりました。
そんなことが続いて、毎年借り銭の額が倍ずつに殖(ふ)えて、十三年目には、八千百九十二貫にまで膨(ふく)らんだのです。
船問屋の主人は、大喜びで、大金となった観音樣のお金を全額そっくり水間寺にお返ししました。なにしろ全部が一銭の貨幣ですから大変です。何頭もの馬に積んで隊列を作り、東海道を下ってお寺に運び込み、境内(けいだい)に積み上げたのです。お坊様達はみんな、パンパンと手を叩いて驚き喜んで「末の世までの語り草にしよう」といって、京都からたくさんの大工さんを招いて立派な宝塔を建立したのでした。
この船問屋さんは、自分の屋敷には、ひと晩中消えない常夜灯(じょうやとう)を灯せる程のお金持ちで、網屋、という屋号は関東では知らぬ人は無い、という程の長者になったのでした。だいたい親ゆずりの財産でなく自分の才覚と運だけで、五百貫文のお金を貯めた人は、分限者(ぶんげんしゃ)、千貫文以上を貯めた人は、長者(ちょうじゃ)、と呼ばれるのです。この長者も、水間寺の観音力(かんのんりき)、お金の息、ご利息に感謝して、幾千萬歳楽(いくせんまんざいらく)だ、と高砂(たかさご)の祝言(しゅうげん)を謡(うた)って祝ったのでした。
エネカン読書会のためにエネカン語に翻訳した井原西鶴の名著「日本永代蔵」第1話を、先にエネカン通信でお送りしたところ、良く分かる、オモロイという皆様のレスポンスを頂いたので前頁に再掲いたしました。やはり原文の雰囲気も味わってもらおうと、原文(出だしだけ)と挿絵をここに載せました。(岩波書店、日本古典文学大系48 西鶴下。吉田半兵衞筆の挿絵、いいですね~)。
「日本永代蔵」の副題は、新大福長者教(お金持ちになる方法)、だそうです。ユーモアと、ありそうな話の雰囲気を、さりげなく描く西鶴の天才には感服するばかりです。
Written by Shingu : 2015年04月03日 16:11