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国連「自然との調和」プロジェクトに参加(人口論と象口論)

新宮秀夫 2016/07/08

国連が2009年にボリビアで開いた会議で「自然との調和」というキーワードの下に種々の企画を実行することが採択され、今年度(2016)は「国際的ネット対話を行う」ことが決まりました。2016 Virtual Dialogue on Harmony with Nature – Theme: Earth Jurisprudence という企画です。
アメリカのエネカン会員、元国連職員バーバラさんから、その国際対話への参加を誘われたので、さっそくOKして、国連事務局からの質問に答える形の英文を4頁書いて提出しました。今日グーグルで検索したら、ちゃんと国連HPにアップされていました。「英文はイヤ」でも様子を見るだけでもオモシロイかも?HPを開いてみてください!
Hideo Shingu のサイトは下記の通りです。グーグルで、dialogue 2016 harmony with nature 、と入れて検索。トップで挙がってるサイトをクリックして開いた頁(星空の写真)の右側に薄い色でリストしてある項目の中から、holistic science 、の箇所をクリックすれば Shingu, Hideo の名前を他の参加者リストの中から見つけらます。そして名前の右端にある四角のマークをクリックすると記事が引き出せます。
直接 Shingu Hideo の記事を開くには下記のサイトをどうぞ、でも全貌がこれでは分かりません。
http://www.harmonywithnatureun.org/wordpress/wp-content/uploads/DialogueInputs/hideoshingu.h.science.pdf

 他の参加者達の意見を読むとなかなか高尚ですが、エネカンの意見はキワメテ実際的、分かり易い!と感じますがいかがですか?HPに出ている英文の日本語訳(概要)を書きます。「人口論とゾウ(象)口論」も入れてあります。


第一質問 (国連から)
 「あなたの専門分野から見て、現在世界における社会運営の行われ方は、あなたの主張する、有るべき姿とどのように異なりますか。あなたの主張の利点はどんな所にありますか?」
答え
 環境問題の根底には、人類の使用するエネルギー量の問題がある。先ず人間の生存に必要な最低限度のエネルギー量である基礎代謝量(basal metabolic rate = bmr) を考えて見よう。人間1人のbmr は100ワット(一秒あたり100ジュール、一日当たり2000キロカロリー)である。ところが現在の人類はこの値の約15倍“先進国”の人々は約40倍ものエネルギーを消費して生活している。
 地球上で供給可能なエネルギー量は数十年から百年しか余裕がないのだが、それより重大なのは、エネルギー使用に必然的に伴う、環境汚染の問題である。

 分かり易く問題を具体的に考えると、人間の bmr の数十倍を消費して生きている地上の生物にはゾウ(象)がいる。つまり世界人口は現在約70億人であるが、それはエネルギー消費量の観点からは、象が地上に70億頭生きているのと同等だといえるのである。
 マルサスが1798年に書いた「人口論」の中で心配された人口爆発は、東京銀座にゾウが100万頭ウロツイテいる有り様を想像すれば、今、目の前にすでに起こっているのだ、と我々は気づかなければならない。

 この現状を改善するには、エネルギー倹約の生活を世界的な動きにする以外にはない。そのような生活に変換するとどんな“利点”が有るか?というようなことは問題ではなく、これ以外チョイスは無いのだと、我々は認識せねばならない。「景気活性化、消費拡大」などは、とんでもない事なのである。安藤昌益が江戸時代中期(1700年代)に書いた「自然真営道」の発想、すべての生物が平等にエンジョイすべき自然の恵みを人間が一人占めすれば、その報いは人間自身の生存を危うくするのである。

第二質問
 「あなたの専門分野からみて、人間中心的な行動から、地球環境問題を意識した生き方に世界の社会を変革して行くには、どんな具体的な方策が考えられますか?」

答え 
 先ず、エネルギーを大量消費しながら、環境汚染もコントロールできる技術、は絶対に無い、という原理を理解するべきなのである。
 エネルギーを使うとは、温度の高いエネルギーの温度を低くすることだと理解する必要がある。高温側と低温側の温度差が大きいほどエネルギー利用の「効率」は高い。エネルギーを使った結果発生するのは、温度の等しくなった(エントロピーの増大した)エネルギーであり、それはもはや活力を失った、ゴミ、なのである。このゴミこそ環境を汚染する原因であり、その処理するには、低温となったゴミを宇宙に放散する以外に地球の環境を維持する方法はない。

 宇宙にゴミを放散出来る量には限度があり、ゾウが70億頭も生きている現状で発生するゴミはすでに限度を超えている。その結果が具体的に見えてきたのが、地球温暖化であり、二酸化炭素増加であり、放射性物質の拡散である。

 具体的対策を考えるには、人間の本性は「目先の欲に従う」という事実を踏まえる必要がある。従って、エネルギー節約が「儲かる」政策、すなわちエネルギー料金の大幅アップを実行せねばならない。貧しい人の生活を保障するには、例えば電気エネルギーで言えば、ひと月に30kwh の電気使用権利を国民全員に低料金あるいは無料で配り、20kwh で暮らした人は残り10kwh使用の権利を、贅沢したい人に高価で譲れる、というような方法も有効であろう。

第三質問
 「あなたの考え方を実行するために障害となる問題には何がありますか?」
答え 
人間は「なんとかなる」という態度をとるのが常であり、その後ろに現代技術の“目覚ましい”進歩に我々の目が「眩んで」いることがある。我々は科学の進歩、それによる技術革新を信じるあまり、環境問題も技術で解決できると信じたいのである。けれども、どれほど科学が進歩しても、エネルギー利用によるゴミ発生(エントロピー増大)は決して避けられないのが自然の摂理である。この自然の原理が理解されていないことが、エネルギー大量消費を止めようという動きが鈍い原因である。我々は日本の江戸時代のように、自然の保全が「生きるか死ぬか」の大問題だと実感出来る暮らしをすべきである。
 
 我々は科学の見掛けの「進歩」に惑わされてはいけない。「私は何故いるのか?」という問には誰も答えられない。我々は現在も、太陽を神様と見て拝んだ古代の人々と同様に「分かることしか分からない」無知な生き物なのである。人類の持続的生存のために現在ほど哲学、宗教、が大切な時代は無かったのだが、現代ほどこれらが「根拠無く無視」されている時代は無かったと自覚せねばならない。

第四質問
 「短期的、長期的な、方策について述べて下さい」
答え
 方策を考える前に、考える必然性を実感せねばならない。自然環境を人類が簒奪した結果絶滅した生物の事を我々は、我々の問題、として実感せねばならない。北アメリカ大陸の空を覆い尽くして飛んでいた「旅行バト(Passenger Pigeon)」はそのあまりの多さ(数十億羽もいた)に19世紀の鳥類学者のオーデユボンでさえ、人々の乱獲を見ても、まだ大丈夫だ、と思っていた。にも係らず、20世紀初めに最後の一羽が死んだ(ワシントンのスミソニアン博物館に剥製がある)。日本の「ムジナ」も小泉八雲の「怪談」の頃には当たり前の、身近な生き物だったのに、今は何処にもいないことが「確認」されている、絶滅である。このまま「景気活性化」を続ければ、明日は我が身であると思わねばならない。

 今すぐに我々に出来ることは「考える」こと、パンセ、である。このままの社会生活をしていれば、自分達は絶滅の可能性が高い、と思って、節約・倹約の社会に変換するか。「まだ大丈夫」と賭けてビジネス・アズユージャル(現状維持)を続けるか。この冊子にも書いた「パスカルの賭け」である。賭けに負ける可能性が如何に小さくても、負けたら絶滅、なら「倹約の社会」を選ばねばならない、つまり「まだはモウなり」かも知れないことを恐れて、消費税20%の生活を楽しまねばならないのである。

Written by Shingu : 2017年03月14日 16:29

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