トップへ戻る

貴舩神社ご神木の年輪。偶然は神の御(み)わざ?

「おられる証拠が無いのが神様の証明」
と言われるそうですが、確かに「私は神である」という人物が現れたらそれはウソに決まっていますね。それでも神様はおられる、という確信を得たい人は多いようです。キリスト教では「聖人」という称号をもらえる条件の一つに「奇跡を起こした」という経歴?が必要とされている、と聞いたことがあります。つまり、奇跡を起こせるのは神様だけだ、という考え方ですね。最近京都上賀茂にある貴舩神社のご神木を偶然に最後に拝んだという経験をしたのでこれを振り返って見ました。

「もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる」

これは和泉式部が恋に悩んで貴船神社に参詣したときに詠んだとされる、大変有名な短歌です。
和泉式部と言えば丁度1000年ほど前の平安時代の人物ですが、その時にすでに古くからあった貴船神社が、江戸時代になってその場所が京都の街から少し遠すぎる(京都の北の山奧、鞍馬寺から峰一つ西側にある)ので近いところに分社を作ろうという話になり、京都市内、上賀茂の山裾、深泥ヶ池(ミゾロが池)の近くに、1660年頃に「貴舩神社」が建立されました。字をよく見ると元の貴船(きぶね)ではなく貴舩(きふね)と呼ばれています。

※下写真はクリックで拡大します

実はその貴舩神社がエネカン事務所から北に歩いて5分くらいの場所なのですが、10年以上ここに通っていて、気がつきませんでした。一昨年の秋頃にエネカン事務所から深泥ヶ池に散歩しようと北に歩いて行ったら、山裾に抜きんでて高い木が見えました。何でも好奇心、で池と反対の山側に歩いてその木のある場所に行ったのですが、そこでこれが貴舩神社の神木だと分かったのでした。なんの案内も無く、杉の大木に呼び寄せられた、という感じでした。

神社は受付も何も無い小さい社ですが、階段を下りてきた京都探索中の大学一学年生さんと入れ違いに社殿に登りました。小ぎれいで簡素な雰囲気がとても気にいったのですが。ご神木はその小さい本殿の後ろに立っていました。 とても真っ直ぐに天に向かって伸びていて、枝もずっと上にだけついている。まさに「一本立ち」している神々しい木でした。幹回りは身長180センチの私が二抱えほど、高さは30メートル位と見えました。この発見以来、何度か尋ねて楽しんだのですが、昨年3月19日にも京都で7年間学生生活をして4月から社会人になって京都を離れる、と言う学生さんがエネカンに来たときに案内して神木を拝ませてあげました。

それ以来ちょっとご無沙汰していましたが、今年になって2月2日に、エネカン事務所の近くで、家の前の畑で野菜を作って時々収穫を恵んでくださる、最近親しくなった卒サラのオジサマを誘って久しぶりにご神木を拝みに貴舩神社に参詣したのです。ここからが本題です。

参拝に神殿に上がって驚いたことに上を仰いでもそこにご神木が無い!本殿の後ろに回るとそこに見たのは、ひっくり返って根元をこちらに向けた大杉の切り株でした!オジサマによれば去年9月4日の台風でこの一帯の木が沢山倒れたということで、ご神木もその時にやられたらしいです。


30メートルもあった木の本体は切り取られて運び去られていましたが、根っこ上部の切断面は真横を向いているので、年輪を綺麗に見ることが出来ました。その時はそのまま帰ったのですが、
家で思い出して、この年輪は写真に撮っておこうと考え付き、それから、何度か貴舩神社に通って思う存分に年輪の写真をとりました。綺麗に写真を撮っても年輪の数は多くて数え難いので、エネカン役員で明石に住む大西東洋司氏に写真を送り数えるのを手伝って貰いました。

 この木は中心が直径30センチ近く空洞になっていて、そこに年輪は無いのですが、一番外側つまり、樹皮のところを去年の9月と見て、そこから中心に向かって年数を数えて行くことが出来ます。年代を数えて行くと、空洞の端がおよそ西暦1700年になりました。日本の年号ではこれが元禄13年になります。元禄なんてどれくらい昔か感覚は無かったのですが、この切り株を見ると、アこの木が直径30センチ程の若木の時代だったのか、と実感できます。西鶴が日本永代蔵を書いたのが元禄元年ですから、その時代もそれ程昔ではないな~、などと思えます。

※下写真はクリックで拡大します

2月9日に、先ほどのオジサマの案内で、この貴舩神社のすぐ近くで開かれた京大防災研の準教授が取り組んでいる、「深泥が池を美しくする会」に参加して、この年輪の写真を披露させて貰いました。神社の世話役をしている地元の方もおられて、今後ご神木の切り株の保存についても考え中であることが分かりました。年輪研究会とか、年輪研究をしている先生などがおられる様子なので、このご神木の年輪がどれだけの意味があるか、調べて貰えれば良いなと考えています。

それにしても、エネカン事務所の場所が近かったという偶然から、ひときわ高く聳えていた大杉に招かれて貴舩神社に参拝でき、その次の年にこの木が台風で倒れて年輪がストップ、それ以降は見ることが出来なくなった。なんとも言いがたい奇跡に近い偶然の重なりが感じられます。神木は9月4日に倒れることを知っていて、最後にその美しい姿を見せてくれたのだ、と思いましょう。


※写真はクリックで拡大されます


「大風(おおかぜ)に 倒れし杉の 樹の幹に 往(い)にし世よりの 伝言(ことづて)を読む」

Written by Shingu : 2019年02月27日 15:06

トップへ戻る