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鉄(Fe)と幸せ

MOTHER  紀 成道 写真展

紀成道 写真展「MOTHER」に寄せて
NPO京都エネルギー環境研究協会代表
京都大学名誉教授    新宮秀夫


(I)イントロダクション

京都大学の工学部冶金学科の後輩で写真家・作家として活躍している紀成道氏から鉄鋼生産についての写真展でトークを依頼され、何となく引き受けましたが、期日が迫って来たので、81才という終活組である事に免じて、少々勝手気ままな鉄について感じていることをまとめて見ました。

ナミビアのホバ隕鉄 そもそも冶金(やきん)という言葉は現在の若者は誰も知らないでしょうが、金属を鉱石から製錬して使えるように加工する技術のことです。日常身の回りにある金属の代表は何と言っても鉄ですね。その鉄について長年考えて来て、一般の方々にはおそらく新鮮なトピックスを集めた文章だと思って下さい。

(II) 鉄の素性(スジョウ)原爆と水爆

  周期律表は誰もが中学校で習います。元素の1番は「水素」です。末席にいる元素の中に92番のウラニウムと94番のプルトニウムがあります。広島に落された原爆はウラニウムが、長崎の原爆はプルトニウムが「核分裂」つまり原子番号の大きい元素を「分裂」させて莫大なエネルギーを放出させる爆弾でした。大学先輩、鋳造工学講座の尾崎良平先生は27才の時に長崎の造船工場に勤務していて、原爆が「ヒュー!」と落ちてくる音を聞いて床に伏せ、なんとか助かられたそうでした。その直後の街の惨状を何度も聴かせて頂きました。
 次ぎに水素爆弾ですが、これは原爆の後から開発され水素(正確には重水素、三重水素)を分裂の逆に「核融合」させて、莫大なエネルギーを放出させる爆弾です。米国が太平洋に浮かぶビキニ諸島に実験場を作ってドンドン水爆(核融合)のテストをやっていたのは私が中学生の頃でした。爆発の近くにいた第五福竜丸という漁船にいた久保山愛吉さんが亡くなられました。
 さて、鉄(Fe)ですが、原子番号26のこの元素は「核分裂」も「核融合」もしない最も安定な元素、つまりいろんな元素が分裂したり、融合したりしてエネルギーを放出した後に生まれる最も安定な原子核構造を持っているのです。安心して使えます、「MOTHER」?

(III) 鉄(Fe)は空から降って来る!

鉄を作るとなると、この写真展で見られる通り大変な作業を頑張ってやり遂げる必要がありますね。ところが、何もしないでも鉄は空から降ってきます。明治37年(1904年)4月7日に兵庫県丹波篠山の岡野という村の山林に轟音を立てて空から火の玉が落ちて来ました。落下場所を掘り起こしたら、4.7キログラムもある鉄(ニッケルを少し含む)の塊(隕鉄)でした。現物は京都大学総合博物館に保存されています。明治37年は今世界一高齢(116才)の田中カ子(かね)さんが1歳の時です、そんなに昔ではないですね。今にもこの会場に鉄が降ってくる可能性はありますよ!!

発見されている世界最大のもの(ホバ:Hoba隕鉄)はアフリカのナミビアのホバ農園から掘り起こされた重さ60トンもあるものです。日本の鉄鋼生産量は年間1億トン位もありますが、それでも60トンもの鉄を例えば日本古来の「たたら製鉄法」で作るとなると大変です。それが空から勝手に降って来るのですから自然は不思議ですね~!

(IV) 地球の中心は鉄のカタマリ!

 地球は中心まで6378キロメートルあるそうです。そしてその半分つまり地下3000キロほど掘り下げたら、そこから下はぜ~んぶ鉄!これはグーグルであれこれ調べても書いてあります。
 なんやそれなら頑張って深~い井戸を掘って鉄を汲み上げたら(その辺りの鉄は液体らしい)なにも「高度成長だ、高炉(blast furnace)で製鉄だ~」なんて言わなくても鉄が手に入る!と思う人もいるでしょう。でもそんな事は「宇宙開発だ、月に別荘を建てて地球を眺めよう!」というのと同じシロウト騙しの発想だと「技術」を少しでも実際に体験した人には分ります。
 ところで、前に書いた「隕鉄」の話ですが、何故宇宙から鉄が降って来るかと言えば、宇宙に散らばっている星のかけらが、元は地球のような中心が鉄の物体だったからです。つまり星の、かけら、は普通の隕石もあれば星の中心にあった部分のかけら隕鉄もある。ということになっているワケです。何しろ鉄(Fe)は最も安定な元素ですから宇宙には結構沢山散らばっているのでしょう。

(V) 鉄と炭素-1
 鉄(Fe)の幸せ、を考えるならどうして
も原子番号6番の元素を考えずには済みません。6番って何?というクイズに即答できる人は奇人と思いますが、それは炭素です。ダイヤモンドですね!炭ですね! 鉄と炭素とはナジミの深い関係らしくて、先述のブラスト・ファーネス(高炉)で作られる鉄にはたっぷりと炭素が(20%以上の元素比)で含まれています。
高炉は背が高いから高炉なんですが、英語 blast furnace ブラスト・ファーネスのブラストは風のことです。大量の風をコークス(石炭を蒸し焼きにした炭素のカタマリ)に吹き付けて1700℃もの高温を作り出して、鉄鉱石から酸素を奪い取るのが高炉の役目です。鉄製造の中心設備です。

高炉(blast) 作られる鉄は一般の人には「鉄」で通じますが冶金を知っている人はこれを銑鉄(せんてつ:鋳物を作る用途に使われる高炭素の鉄)と呼んでいます。
銑鉄をそのまま使う鋳物は大変便利なものですね。子供の頃、我が家には鋳物(鋳鉄)の風呂がありました。五右衛門風呂(ゴエモンブロ)です。薪を燃して直接風呂釜を加熱して湯を温めて入浴です!冗談で親父、母、姉2人、私、妹、6人が一緒にぎっしり入ったことを覚えています、鋳鉄(Fe+C)の幸せです!

(V) 鉄と炭素-2

 日頃街角の建築現場で見かける鉄骨や列車のレール、など強くて丈夫で長持ち、という頼みになる鉄材は実は、ブラスト・ファーネス(高炉)で作られた銑鉄からもう一度頑張って炭素を抜き取って(炭素の量を元素比率で1%以下)にしたものです、スチール(鋼)です(鉄の利用は95%以上スチールです)。
 銑鉄から炭素を抜き取る工夫が「転炉」と呼ばれる装置でこれは英語ではコンバーター:converter と呼ばれます。コンバートとは変換、転換、という意味です。キリシタンに踏み絵をさせて信仰を転向させるのもコンバートです。
 100トンもの溶けた銑鉄を蓋のない丸っぽい大きな器に入れて底から酸素を吹き込む!ご存じのように酸素は何でも燃やします。溶けた銑鉄の中では鉄よりも炭素の方が燃えやすいですから、
銑鉄の中の炭素はアッと言う間に燃え尽きて炭素の含有量の少ない鋼:スチールに変換、コンバート(改宗)されます。その間約30分!すごい早さの改宗です。「MOTHER」写真集を見て下さい。
1960年代から始まった「高度成長期」の始まり時期の1960年に私は大学3年生で、八幡製鉄で3週間実習しました、第3製鋼工場に配属です。ところがそこにあったのは転炉ではなくて「平炉」でした。
平たい炉で、高炉で出来た銑鉄を約100トン注ぎ込んで、上から空気か酸素を吹き付けるのです。銑鉄の中の炭素が燃え尽きて鋼(スチール)ができるまで約8~10時間でした。
実習生はすることがなくてボケ~と平炉の前に立っていたら、工員さんが「見えんですタイ!」と叫ばれ、驚き震えて横に寄ったことを今でも実感できます。平炉の中の銑鉄がどれくらいスチールに近づいて来たか、温度で分るらしいですが、工員さんは白金を使った高価な温度計(熱電対)を消耗させず、目視、つまり自分の目で見るだけで温度(1700℃近い高温)を数度の精度で判別できるのだと後で聞かされ驚きました。
 その後すぐに12基もあった平炉に代わって「改宗」時間の短い転炉が導入されて、懐かしい実習工場も全面改修されたと聞きました「高度成長」!!

(VI) 体の中の鉄(Fe)、街中の鉄(Fe)

ヘモグロビン 人工関節などに使われるステンレス・スチールも体内の鉄ですが、ここは血液のお話デス。人は血液のおかげで空気中から酸素を取り込んで、食べた食物を体内で燃やして活動のエネルギーにしています。血液中の赤い色のものは肺の中で空気から酸素を取り込んで体の末端まで運ぶヘモグロビンという化学物質なのですが、ウィキで調べるとそのヘモグロビンの真ん中に,で~ん,と座っているのが鉄FeIIです。鉄(Fe)と人間の堅~い結びつきがわかります。

喜びも悲しみも鉄(Fe)を含んだ血が回っているおかげ様です。ウィキから写した図を見て下さい。ちなみに、Feの肩にIIと書かれているのはFeが2価であることを示しています。2価の鉄は身近にはFeO ウスタイトという黒っぽい物質として存在します。
3価の鉄も一般的に存在します。鉄鉱石は主に、3価の鉄Fe2O3 。これはヘマタイトと呼ばれていますが赤っぽい渋い色、ベンガラですね。    
京都の町のシンボル、ベンガラ格子は酸化鉄が塗ってあるんです。やはり鉄!です。

(VII) 鉄(Fe)と水(H2O)

 ステンレスでなくても、普通は鉄鋼材料を水に浸けて使っても大丈夫です。コレ、鉄は水素より酸素との親和力が小さいから水(H2O)から酸素を奪い取ることが起こらないからだ。と見るのは実はマチガイです。冶金的専門知識によれば、鉄は水素より少しだけ、酸素との親和性が強いのです。この「少しだけ」という事には大きな意味があります(後述)。鉄を水につけてもOKなのは露出している鉄鋼材の表面積が少ない事と、酸化皮膜が水との接触を邪魔するからです。
 今は新エネルギー開発が盛んで、水素をエネルギー源としてガソリンのように使う試みが実用化されつつあります。しかし水素は気体でそれを貯蔵するには高圧のボンベが必要であり、かなりアブナイわけです。実はボンベに代えて表面積の大きい活性化した鉄粉を袋に入れておいて、水素が必要な時に、その鉄粉に水(H2O)をかける、と忽ちブクブクと活発に水素が発生する。という工夫が開発されています。
先述の「少しだけ」親和力が大きい、という事に意味があるのは、鉄が水から酸素を奪って自分は酸化鉄FeOになり、水は水素を放出する反応は発熱も吸熱もほとんどゼロなので、鉄粉による水素貯蔵法はエネルギーのロスがほとんど無い、という利点があるためです。
 私が自分で実験して、確かめて特許も取ってありますから、マチガイありません。やはり鉄(Fe)ですね~。

(VIII) 自分の手で製鉄する!

 高校の世界史で必ず習う「ヒッタイト」という国?を覚えていますか?現在のトルコあたりの国で、3500年ほど昔に世界で始めて製鉄技術を実用化して武器をつくって、古代エジプトを打ち負かしたらしいです。その製鉄技術は朝鮮半島を経て日本にはようやく6世紀頃に伝わりました、万葉集の頃?
 その製鉄法が「たたら製鉄」と呼ばれるのですが。基本は簡単、鉄鉱石と木炭(炭)を交互に重ね合わせ、密閉して加熱する。これだけです。加熱の温度は時代と共に高くなって江戸時代には一1300℃くらいまで上がったらしいですが、始めはようやく800℃くらいだったらしい。
 高炉だ、転炉だ、高度成長だ!と言って1700℃の高温を利用しなくても800℃で鉄が出来る!いったい技術は進歩したのか、退歩したのか、と思いませんか?

 800℃で鉄が作れるのなら、自分の手で鉄を作ることも可能なので、実際にやって見ました。と言っても「たたら」の真似をしたのでは意味がない。冶金の知識を使った効率の良い方法です。基本は「たたら」と同じく、鉱石も木炭も固体のまま固体の鉄を作るのですが、反応時間を短縮することが肝心なので、鉱石と木炭とを出来るだけ細かく粉砕混合して容器に詰め込んで、外から加熱して950℃くらい(800℃では反応速度が遅い)で約1時間。若狭湾エネルギー研究センターで協力してくれた大西東洋司氏の撮った証拠写真を見て下さい。

海綿鉄

サガーと書いてあるのは、鉄製の容器のことです。出来たのは「海綿鉄」と呼ばれるスポンジ状の純鉄です。「改宗」させなくても炭素はほとんど含んでいません。
 純鉄ですから、鍛錬するか再溶解するか、すれば鉄鋼材料を自由に作れます。このまま先述の水と反応させて水素発生用にも使えます。
 原料の鉱石と木炭とを混ぜて微粉砕するところが新しいので、特許を書いたら特許庁はちゃんと「新技術」であることを認めて特許許可してくれました。使用する炭素量が少ないので、発生する2酸化炭素が少なく、環境保全上も理想的です。高度成長の後続技術?自分の手で作れる、となると鉄(Fe)を身近に感じられませんか?

(IX)「鐵」の幸せ、「鉄」の幸せ。

 鐵鋼会社の人、とくに幹部の人達は「鉄」という文字を使いたがらない様子です。この字は「金と失」が合わさっていますね。誰しもお金を失いたくない、とくに企業の第一目的は利益すなわちお金を得ることですから当然です。
 そして「鐵」という古い文字は「金・王・哉」に分解できることから、「鐵は金の王なる哉」となるので、断然これを使いたがることになっています。冶金学の草分け本多光太郎の言葉です。

 鐵(Fe)の幸せ、はそうなると高度成長して利益がどんどん増す、ことですから誰も納得でしょう。
成長している時にはだれも、何処まで行くのか?なんて考えもしないで、ひたすら頑張るのですから、これはモチロン人間の本性に合致した最高の幸せ状態です。写真集「MOTHER」に写っている現場の人達は皆、光り輝いています。良いですね~。
 しかし宇宙の原理は、諸行無常、何でも得ることがあれば必ず失うことも起こります。さて、失うことに幸せがあるでしょうか? 経済学の基本として必ず習う「限界効用逓減(ていげん)の法則」はお金であれ何であれ、多く得れば有り難さ(効用)はどんどん減る、原理を教えています。
10円持っている時の1円の値打ちと10,000円持っている時の1円の値打ちには、誰が考えても大きな違いがありますね。大きな違いを数式で示せば、1円の値打ちが1/10 から1/10.000に減っているのです。物の豊かさを味わう幸せと、物の値打ちを味わう幸せ、とは相反した状態に存在するのです。
 そうなると、鉄(お金を失う)の幸せも、鐵(お金の王様)の幸せ、もどちらもOKになります。高度成長もOK、景気後退もOK?が世の習いでしょうか? どちらも素晴らしい「写真展」になり得ます。今回は紀成道氏の頑張りで「鐵の幸せ」をたっぷり味わうことができました。

 先述の世界最年長116才の田中カ子(かね)さんは、ギネス登録のお祝いにインタビューに来た記者の愚問「長生きされて来た人生の中で、いつが一番楽しかったですか?」に対して即座に笑いながら「今!」と答えられたそうです。「MOTHER」ですね、頑張りましょう!


Written by Shingu : 2019年11月14日 14:28

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