一とは何か?これは有限値の代表。それに対するものは極限値である零と無限大。物の存在状態でいえば、無限に希薄(真空)と無限に高密度(真密)と呼ばれる状態。我々の住む世界は密度が測定できる有限の世界。有限値は百万でも千万でも、そこを基準に見ればすべて1と見なし得る。万物を一と見ることの理由はここにある?具体的にこれら三状態をハッキリとイメージすると。
バキューム (真空、vacuum):1個の原子の体積が∞大(体積が1の空間には原子は0個)。
フィニトーム(有限、finitum):1個の原子の体積が有限値(体積が1の空間中に原子が1個)。
デンスーム (真密、densum):∞個の原子の体積が1(1個の原子の体積は0)。
宇宙をバキュームが支配すれば、自然現象により世界の物質のあり方(フィニトームの世界)はドンドン希薄になる(これは「エントロピー増大の法則」と教科書に書かれていて、我々は今そう思ってる)。
宇宙をデンスームが支配すれば、自然変化により世界の物質のあり方(フィニトームの世界)はドンドン高密度になる(エントロピー減少の法則が成立)。ブラックホールは怖い?
以上を式で表せば 1 = x・1/X となる。 Xが1000なら 1/X は 0.001 になり、掛け合わせれば1になる(万物は一)。1000 の桁は3、0.001の桁は-3 と見れば(対数をとること)足し合わせれば 3 + (-3) = 0。これがエントロピー的見方(すべての変化、エントロピーの差、は空しい?)。
「エントロピーの考察:(一の中味はなに?)」秋山鐵夫画伯 二〇一四
「The resolution of everything into the One」Tetsuo Akiyama 2014
第1巻 第1話 「初午(はつうま)は乗ってくる仕合(しあわせ)」-水間寺観音のご利益(りやく)
(エネカン語訳:エネカン冊子12号に掲載 2014年7月)
お天道樣(てんとうさま)は、なんにも文句いわずに毎日、毎年、日光を国中に恵んでくださってますね~。そして人間というものは、み~んな、正直で良いやつなのに、ウソ、いつわりの振る舞いも平気でやる。どうなってるんや~、と思うけれども、人がぜ~んぶ、みんな、真っ正直なまとも人間だったら、世の中、嬉しくも悲しくもなくなる。世の中が世の中でなくなるんだから、自然とはこんなもの、と見きわめて、人間らしくもあり・人間らしくもなく、世を過ごすのが良いのでしょうね。
それより、一生一大事、一番大切なことは、エライ学者も、どん百姓も、技術者も、実業家も、坊主も尼も、牧師もシスターも、神主も巫女(みこ)も、み~んな、みんな、始末(しまつ)大明神(だいみょうじん)のお告げを信じて倹約に励んで、お金を貯めることなんですよ・・・。お金って、親父、オフクロ以外に頼れるものはこれしかない。人間、ながく見ても寿命はいつか尽きる、ひょっとしたら今晩にもアウトかもしれない、光陰(こういん)矢のごとし、浮き世は夢まぼろしだ、といいますね~。死んで焼き場の煙になって昇天したら、せっかく貯めた財産もゴミ、廃棄物、と同じことになる。地獄の通行料を銀行預金で払うわけにもいきません。とは言っても、この世に残した遺族、友人の役には立つものでもあるんです。
およそ、この世間でお金の威力の及ばないものが五つありますけれど、それ以外の事はぜ~んぶ、お金で解決!なんですよ。お金は本当に宝ですね~、これ以上にありがたいものはありません。だからといっても、天狗のマジナイ(株投機)とか、儲ける力、なんて本を読む、とかが実際に役に立ったためしはありません。そんな、手の届かない願望は捨てて、儲かる近道は人それぞれ、自分の能力に応じた仕事について、まじめにせっせと働くことが一番です。お金持ちになるには自分の信念を堅く護って、氣をゆるめることなく信用を築き、世の流れに流されずに神仏を敬って生きることですよ。これが、先祖代々我々の生きてきた道なんです。
さて、毎年二月の初午(はつうま)の日に、大阪府の貝塚市にある水間寺(みずまでら)の観音様に参拝する習わしがあります。老若男女、身分もさまざまな人達ですが、誰も信心のこころで詣でるワケではありません。実は皆、欲と道連れでやって来るんです。二月という寒い季節、はるかな田舎道を踏み分けて、まだ花も咲いてないこのお寺に集まって観音様を拝む、その目的は、各々その身分なりに、お金儲けを祈願(きがん)するためなのです。
ご本尊の観音様にしてみれば、たくさんの参拝者それぞれの願いに、一々応対しているヒマもありませんから、鎮座(ちんざ)しておられる所から、
「この娑婆(しゃば)に掴(つか)みどりはなし:安易に良いことを願っても仕合わせになれませんよ、私(観音)に願をかけなくても、あなた方は、それぞれのお人毎に仕事に励みなさい。男は田畑を耕し、女は機(はた)を織って、毎日、朝夕、せっせと正直に暮らせるのが、最高とお気づきなさい」。
とまことに有り難い、お告げを仰(おお)せになるのだけれども、それが参拝者の耳にゼンゼン入らないのは、浅ましいことですね。
さて、世の中に借金の利息ほど怖ろしいものはありませんが、このお寺では万人が借金をする習慣があるのです。今年一銭、お寺から借りて、次の年に二銭にして返す、百円借りたら二百円返す、という具合です。なにしろ観音樣から借りたお金ですから、皆、一年のあいだ無事に過ごせたら、間違いなく倍返しを怠ることはありません。
ある時、お寺に年令が二十才過ぎと見える逞しい若者が現れました。徳川様の天下になって百年近くも経つのに信長時代の質素な着物を着て、脇差しを差し、おしり丸出しのファッションを平気で着こなしている人でした。他の人達とおなじなように、お寺のお土産品の山椿の枝と、苦い山芋の野老(ところ)を入れた編み上げの竹籠とを持って、参拝の帰り際の様子でしたが、借銭を行っているお寺の受付にスッと現れて「借り銭、一貫文!」と注文したのです。一貫は一文銭、一千枚、他の人がせいぜい十枚程しか借りないのに、一千枚借りたい、というわけです。受付の坊様は、参拝者の注文ですから、何も考えずにスッと一文銭が一千枚連なった輪っぱをそっくり、この若い田舎者に渡しました。若者は、あたりまえに受けとってすぐに帰っていきました。
さて、お寺ではその日の活動報告会議で、一人の参拝者に一貫もの銭を貸したことが問題になりました。お坊様の大方の意見は、このお寺では今まで一度も、一貫もの大金を一人に貸した前例はない。そんな大金が来年返ってくるなんて、信じられん。ということで、今後は大金を貸すことは禁止にしよう、と決議されました。
実は一貫文を借りた若者は武蔵(むさし)の国、江戸の小網町という日本橋川の川岸で船問屋(ふなどんや)をやって繁盛(はんじょう)している店の主だったのです。彼は水間寺の観音樣から借りた一貫文のお金を「仕合丸(しあわせまる)」と書いた銭箱に入れて、漁師が出帆(しゅっぱん)するたびに、子細(しさい)を話して百文づつ貸し出したのです。これが評判になって、このお金を借りると自然の恵みがあるんだ、と遠方から借りに来る漁師も出るようになりました。
そんなことが続いて、毎年借り銭の額が倍ずつに殖(ふ)えて、十三年目には、八千百九十二貫にまで膨(ふく)らんだのです。
船問屋の主人は、大喜びで、大金となった観音樣のお金を全額そっくり水間寺にお返ししました。なにしろ全部が一銭の貨幣ですから大変です。何頭もの馬に積んで隊列を作り、東海道を下ってお寺に運び込み、境内(けいだい)に積み上げたのです。お坊様達はみんな、パンパンと手を叩いて驚き喜んで「末の世までの語り草にしよう」といって、京都からたくさんの大工さんを招いて立派な宝塔を建立したのでした。
この船問屋さんは、自分の屋敷には、ひと晩中消えない常夜灯(じょうやとう)を灯せる程のお金持ちで、網屋、という屋号は関東では知らぬ人は無い、という程の長者になったのでした。だいたい親ゆずりの財産でなく自分の才覚と運だけで、五百貫文のお金を貯めた人は、分限者(ぶんげんしゃ)、千貫文以上を貯めた人は、長者(ちょうじゃ)、と呼ばれるのです。この長者も、水間寺の観音力(かんのんりき)、お金の息、ご利息に感謝して、幾千萬歳楽(いくせんまんざいらく)だ、と高砂(たかさご)の祝言(しゅうげん)を謡(うた)って祝ったのでした。
エネカン読書会のためにエネカン語に翻訳した井原西鶴の名著「日本永代蔵」第1話を、先にエネカン通信でお送りしたところ、良く分かる、オモロイという皆様のレスポンスを頂いたので前頁に再掲いたしました。やはり原文の雰囲気も味わってもらおうと、原文(出だしだけ)と挿絵をここに載せました。(岩波書店、日本古典文学大系48 西鶴下。吉田半兵衞筆の挿絵、いいですね~)。
「日本永代蔵」の副題は、新大福長者教(お金持ちになる方法)、だそうです。ユーモアと、ありそうな話の雰囲気を、さりげなく描く西鶴の天才には感服するばかりです。
フィボナッチ数列は高校で習いますが、0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89・・・と続きます(前の2個の数字を加え合わすと次の数となる)。青ビーズの数も白ビーズの数もその合計も、各々この数列に従って増えます。ビーズ数が増えるほど、青の数と白の数を較べると、最もバランスのとれた比率と云われる「黄金比」(=1.6180・・・)に近づきます(テレホンカードなどカード類の縦横の長さは黄金比にされている)。黄金比は無理数だから何度見ても納得できない、割り切れない、飽きない、常に新鮮な感動が得られる、幸福になれる!?
作り方:青→青白、白→青というルールで、例えば、青白青→青白青青白、のように前のピース列から、次のビーズ列に発展させます。写真は、青34個、白21個、合計55個のビーズで作られたネックレスですが、端末(写真では赤ビーズの右側の青玉の次ぎ)に来るべき白青、の2個は、対称性のために赤ビーズで置き換えてあります。どんなに長い黄金比ネックレスを作っても端末の白青、あるいは青白、の2個を赤で代表させれば、左右対称になります。
京都エネルギー環境研究協会(エネカン) 新宮秀夫 (2011/11/15)
]]>国連が2009年にボリビアで開いた会議で「自然との調和」というキーワードの下に種々の企画を実行することが採択され、今年度(2016)は「国際的ネット対話を行う」ことが決まりました。2016 Virtual Dialogue on Harmony with Nature – Theme: Earth Jurisprudence という企画です。
アメリカのエネカン会員、元国連職員バーバラさんから、その国際対話への参加を誘われたので、さっそくOKして、国連事務局からの質問に答える形の英文を4頁書いて提出しました。今日グーグルで検索したら、ちゃんと国連HPにアップされていました。「英文はイヤ」でも様子を見るだけでもオモシロイかも?HPを開いてみてください!
Hideo Shingu のサイトは下記の通りです。グーグルで、dialogue 2016 harmony with nature 、と入れて検索。トップで挙がってるサイトをクリックして開いた頁(星空の写真)の右側に薄い色でリストしてある項目の中から、holistic science 、の箇所をクリックすれば Shingu, Hideo の名前を他の参加者リストの中から見つけらます。そして名前の右端にある四角のマークをクリックすると記事が引き出せます。
直接 Shingu Hideo の記事を開くには下記のサイトをどうぞ、でも全貌がこれでは分かりません。
http://www.harmonywithnatureun.org/wordpress/wp-content/uploads/DialogueInputs/hideoshingu.h.science.pdf
他の参加者達の意見を読むとなかなか高尚ですが、エネカンの意見はキワメテ実際的、分かり易い!と感じますがいかがですか?HPに出ている英文の日本語訳(概要)を書きます。「人口論とゾウ(象)口論」も入れてあります。
第一質問 (国連から)
「あなたの専門分野から見て、現在世界における社会運営の行われ方は、あなたの主張する、有るべき姿とどのように異なりますか。あなたの主張の利点はどんな所にありますか?」
答え
環境問題の根底には、人類の使用するエネルギー量の問題がある。先ず人間の生存に必要な最低限度のエネルギー量である基礎代謝量(basal metabolic rate = bmr) を考えて見よう。人間1人のbmr は100ワット(一秒あたり100ジュール、一日当たり2000キロカロリー)である。ところが現在の人類はこの値の約15倍“先進国”の人々は約40倍ものエネルギーを消費して生活している。
地球上で供給可能なエネルギー量は数十年から百年しか余裕がないのだが、それより重大なのは、エネルギー使用に必然的に伴う、環境汚染の問題である。
分かり易く問題を具体的に考えると、人間の bmr の数十倍を消費して生きている地上の生物にはゾウ(象)がいる。つまり世界人口は現在約70億人であるが、それはエネルギー消費量の観点からは、象が地上に70億頭生きているのと同等だといえるのである。
マルサスが1798年に書いた「人口論」の中で心配された人口爆発は、東京銀座にゾウが100万頭ウロツイテいる有り様を想像すれば、今、目の前にすでに起こっているのだ、と我々は気づかなければならない。
この現状を改善するには、エネルギー倹約の生活を世界的な動きにする以外にはない。そのような生活に変換するとどんな“利点”が有るか?というようなことは問題ではなく、これ以外チョイスは無いのだと、我々は認識せねばならない。「景気活性化、消費拡大」などは、とんでもない事なのである。安藤昌益が江戸時代中期(1700年代)に書いた「自然真営道」の発想、すべての生物が平等にエンジョイすべき自然の恵みを人間が一人占めすれば、その報いは人間自身の生存を危うくするのである。
第二質問
「あなたの専門分野からみて、人間中心的な行動から、地球環境問題を意識した生き方に世界の社会を変革して行くには、どんな具体的な方策が考えられますか?」
答え
先ず、エネルギーを大量消費しながら、環境汚染もコントロールできる技術、は絶対に無い、という原理を理解するべきなのである。
エネルギーを使うとは、温度の高いエネルギーの温度を低くすることだと理解する必要がある。高温側と低温側の温度差が大きいほどエネルギー利用の「効率」は高い。エネルギーを使った結果発生するのは、温度の等しくなった(エントロピーの増大した)エネルギーであり、それはもはや活力を失った、ゴミ、なのである。このゴミこそ環境を汚染する原因であり、その処理するには、低温となったゴミを宇宙に放散する以外に地球の環境を維持する方法はない。
宇宙にゴミを放散出来る量には限度があり、ゾウが70億頭も生きている現状で発生するゴミはすでに限度を超えている。その結果が具体的に見えてきたのが、地球温暖化であり、二酸化炭素増加であり、放射性物質の拡散である。
具体的対策を考えるには、人間の本性は「目先の欲に従う」という事実を踏まえる必要がある。従って、エネルギー節約が「儲かる」政策、すなわちエネルギー料金の大幅アップを実行せねばならない。貧しい人の生活を保障するには、例えば電気エネルギーで言えば、ひと月に30kwh の電気使用権利を国民全員に低料金あるいは無料で配り、20kwh で暮らした人は残り10kwh使用の権利を、贅沢したい人に高価で譲れる、というような方法も有効であろう。
第三質問
「あなたの考え方を実行するために障害となる問題には何がありますか?」
答え
人間は「なんとかなる」という態度をとるのが常であり、その後ろに現代技術の“目覚ましい”進歩に我々の目が「眩んで」いることがある。我々は科学の進歩、それによる技術革新を信じるあまり、環境問題も技術で解決できると信じたいのである。けれども、どれほど科学が進歩しても、エネルギー利用によるゴミ発生(エントロピー増大)は決して避けられないのが自然の摂理である。この自然の原理が理解されていないことが、エネルギー大量消費を止めようという動きが鈍い原因である。我々は日本の江戸時代のように、自然の保全が「生きるか死ぬか」の大問題だと実感出来る暮らしをすべきである。
我々は科学の見掛けの「進歩」に惑わされてはいけない。「私は何故いるのか?」という問には誰も答えられない。我々は現在も、太陽を神様と見て拝んだ古代の人々と同様に「分かることしか分からない」無知な生き物なのである。人類の持続的生存のために現在ほど哲学、宗教、が大切な時代は無かったのだが、現代ほどこれらが「根拠無く無視」されている時代は無かったと自覚せねばならない。
第四質問
「短期的、長期的な、方策について述べて下さい」
答え
方策を考える前に、考える必然性を実感せねばならない。自然環境を人類が簒奪した結果絶滅した生物の事を我々は、我々の問題、として実感せねばならない。北アメリカ大陸の空を覆い尽くして飛んでいた「旅行バト(Passenger Pigeon)」はそのあまりの多さ(数十億羽もいた)に19世紀の鳥類学者のオーデユボンでさえ、人々の乱獲を見ても、まだ大丈夫だ、と思っていた。にも係らず、20世紀初めに最後の一羽が死んだ(ワシントンのスミソニアン博物館に剥製がある)。日本の「ムジナ」も小泉八雲の「怪談」の頃には当たり前の、身近な生き物だったのに、今は何処にもいないことが「確認」されている、絶滅である。このまま「景気活性化」を続ければ、明日は我が身であると思わねばならない。
今すぐに我々に出来ることは「考える」こと、パンセ、である。このままの社会生活をしていれば、自分達は絶滅の可能性が高い、と思って、節約・倹約の社会に変換するか。「まだ大丈夫」と賭けてビジネス・アズユージャル(現状維持)を続けるか。この冊子にも書いた「パスカルの賭け」である。賭けに負ける可能性が如何に小さくても、負けたら絶滅、なら「倹約の社会」を選ばねばならない、つまり「まだはモウなり」かも知れないことを恐れて、消費税20%の生活を楽しまねばならないのである。
八十才なんて大変な年寄りだ、と思っていましたがそうなって見ると、少年十才頃の気持ちと少しも変化も成長もしてないな、と思うこの頃です。
空を見上げて行く雲を眺めながら、自分はいったい何なのか、何故自分はここにいるのか、大人になればそんなことが分かるのか、と思ったことは何度もありました。
でも大人を通り越して老人になっても、同じ空の雲を見て70年前と同じ感情が湧くのですから、一体そんなに時間をかけて人生を生きて来てもサッパリ「成果」は無かったわけですね~~~!
今日ここに集まって頂いている皆様は殆ど全員が私からみれば後輩、若者です。皆さんにお話しすることは以上でオワリ、この一言で人生をお教えしたつもりでも良いのでしょうが、ま、時間もまだあるし、蛇足もないと話になりませんから、もう少し続けましょう。
いつもダラダラと取りとめなく話して終わらない、という悪癖を避けるために、話題を分けて見ました。
① 年齢、時間、について。 年を取ると時間が早く経つか、ジャネーの法則?
② 褒章について。 一億円の大賞を振ってキノコ狩をしてる、ペレリマン氏。
③ 宗教について。 おられる証拠が無いのが神様の証明?
④ 哲学について。 これ以上役に立たない学問は無い。けど、一番大切?
⑤ 自然科学・論理学。 すべてを理屈で説明できるか?理屈という土俵が無くなったら?
⑥ 芸術について。 人口知能(AI)は星を美しいと思うか?教えたらそう思う?
⑦ お金・経済学。 世の中お金で解決しない事が五つある?日本永代蔵、西鶴。
⑧ 法律・倫理学。 原因と結果の追求。シネ・クア・ノン:アレ無ければコレ無し。
⑨ 食物とエネルギー。 人間1人は100ワット。象1頭は5キロワット。人口爆発の現状。
⑩ 始まりと終わり。 始めに言葉があった・・・終わりに言葉が消える?
ま~何事も良い点あれば困った点もあるもので、気体が熱を持ち運んで低温部(上部)で放出したら、そこに液体が発生するワケですから、その液にもう一度熱を運んでもらうためには、元の高温部(下部)に戻してやらねばなりません。従来のヒートパイプは液を元に戻すのに、気体が上昇したのと同じパイプの壁に棉のようなウィックと呼ばれる液体の浸み込む物質を貼り付けて、ジワジワと重力で液が降り下るようにしてあります。小生は10年ほど前にたまたま敦賀のエネルギー研究センターに勤めることになって、ずっと考えていた、ヒートパイプの低温部で出来た液が元のパイプでなくて別のパイプを通って戻り、その結果、液や気体がグルグル回って熱を運ぶような工夫が出来ないか、装置の作製にチャレンジしました。と言ってもいくらループ状のガラス管に液を入れて一端を湯につけても、液は内部で蒸発して泡が発生、右側に上ったり左側に上ったりして、グルグル回りはしてくれません。
片側のパイプの下部に、いわゆる沸騰石と呼ばれる泡発生の起こりやすい軽石みたいなものを封入することは直ぐに思いついて試しましたが、少しは有効みたいでしたが、沸騰石の効能はすぐに劣化して、時々シバシバ、流れが逆転して頼りになりません。やり始めて3年、まだ懲りずにアレコレ試している時にやっと「夢のお告げ」があって、それは片側のパイプの下部に泡溜め、つまりガラス管中に、上に閉じた小さなスペース(瘤)を作れば泡は常にそこにあり、温度が上がればその泡が増殖し続けるョ、というのです。早速試したらなんと完璧に働く!液は気体を伴って何時までも(温度差が有る限り)回り続けることが発見できました。早速特許を書いて申請したら、アイデアが新し過ぎて、特許庁の審査官の先生もアドバイザーも原理が理解出来ずに、不受理!又申請し直しても、又拒絶。3回目には特別審判まで事が運んだので、今度コソと力を入れて原理の説明文を提出したら「分かった新発明である、拒絶判定を取り消す」と特許が下りました、ヤレヤレですね~。
装置(工夫)は利用価値が高いのですが、学会とかでもなかなか古い方法がはびこっていて、世界的発明も未だ一般的になる所までは行っていませんが、ケニス(株)という教材の会社からは、モデルが発売されていて、これはボチボチ売れてるようです。
とそんな事で新たな利用を漫然と考えたりしている所に、液がグルグル回るなら、それを動力として発電できないか?という相談を数人の人達から受けました。勿論そんなことは液が活発に動く様子を何度も見てる自分としては考えてはいましたが、動力的にはそれほど大きくないので利用価値は低い、と見限っていました。しかし、ハッと気づいたことは新発明の循環型ヒートパイプ(BACH) の性能のデモンストレーションには、少なくとも発電できる程の電圧を発生できる力で液が循環している、と一目で見せることは極めて有効であろうということでした。
そこで、手持ちのガラス製BACH を使って、ミニ発電機をネットで探し回り、これを装着して発電を試みました。中学生を手伝いにして、LEDが発光する様を見せて威張ろうと、がんばりましたが、見事失敗、1ミリボルトも発電しない、つまり発電機が回らない!
なにくそ、原理はゼッタイに間違ってない!と思いつつも液は回るときに後ろ向き動きを止める壁がナイから、動力に限度があるのか?と思いつつ、装置を拡大して試作、試して見たけどやはりダメ。と思いながら、続けてたら、ハッと気づいたらメーターが2ボルトまで上がってる、LDEを見たらナント、バッチリ明るく灯っている!兎にも角にも、ヒートパイプで発電したのは世界初間違いない!! という取りあえずのご報告です。今後なにをして行けるか、アイデアあればエネカンにお教え下さい。よろしく。
循環型ヒートパイプ(BACH) の動画と説明は下記youtube に載せてある。
発電については未掲載。
https://www.youtube.com/watch?v=xn9MRvScHh4
https://www.youtube.com/watch?v=FkECKXugE_4
「もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる」
これは和泉式部が恋に悩んで貴船神社に参詣したときに詠んだとされる、大変有名な短歌です。
和泉式部と言えば丁度1000年ほど前の平安時代の人物ですが、その時にすでに古くからあった貴船神社が、江戸時代になってその場所が京都の街から少し遠すぎる(京都の北の山奧、鞍馬寺から峰一つ西側にある)ので近いところに分社を作ろうという話になり、京都市内、上賀茂の山裾、深泥ヶ池(ミゾロが池)の近くに、1660年頃に「貴舩神社」が建立されました。字をよく見ると元の貴船(きぶね)ではなく貴舩(きふね)と呼ばれています。
実はその貴舩神社がエネカン事務所から北に歩いて5分くらいの場所なのですが、10年以上ここに通っていて、気がつきませんでした。一昨年の秋頃にエネカン事務所から深泥ヶ池に散歩しようと北に歩いて行ったら、山裾に抜きんでて高い木が見えました。何でも好奇心、で池と反対の山側に歩いてその木のある場所に行ったのですが、そこでこれが貴舩神社の神木だと分かったのでした。なんの案内も無く、杉の大木に呼び寄せられた、という感じでした。
神社は受付も何も無い小さい社ですが、階段を下りてきた京都探索中の大学一学年生さんと入れ違いに社殿に登りました。小ぎれいで簡素な雰囲気がとても気にいったのですが。ご神木はその小さい本殿の後ろに立っていました。 とても真っ直ぐに天に向かって伸びていて、枝もずっと上にだけついている。まさに「一本立ち」している神々しい木でした。幹回りは身長180センチの私が二抱えほど、高さは30メートル位と見えました。この発見以来、何度か尋ねて楽しんだのですが、昨年3月19日にも京都で7年間学生生活をして4月から社会人になって京都を離れる、と言う学生さんがエネカンに来たときに案内して神木を拝ませてあげました。
それ以来ちょっとご無沙汰していましたが、今年になって2月2日に、エネカン事務所の近くで、家の前の畑で野菜を作って時々収穫を恵んでくださる、最近親しくなった卒サラのオジサマを誘って久しぶりにご神木を拝みに貴舩神社に参詣したのです。ここからが本題です。
参拝に神殿に上がって驚いたことに上を仰いでもそこにご神木が無い!本殿の後ろに回るとそこに見たのは、ひっくり返って根元をこちらに向けた大杉の切り株でした!オジサマによれば去年9月4日の台風でこの一帯の木が沢山倒れたということで、ご神木もその時にやられたらしいです。
30メートルもあった木の本体は切り取られて運び去られていましたが、根っこ上部の切断面は真横を向いているので、年輪を綺麗に見ることが出来ました。その時はそのまま帰ったのですが、
家で思い出して、この年輪は写真に撮っておこうと考え付き、それから、何度か貴舩神社に通って思う存分に年輪の写真をとりました。綺麗に写真を撮っても年輪の数は多くて数え難いので、エネカン役員で明石に住む大西東洋司氏に写真を送り数えるのを手伝って貰いました。
この木は中心が直径30センチ近く空洞になっていて、そこに年輪は無いのですが、一番外側つまり、樹皮のところを去年の9月と見て、そこから中心に向かって年数を数えて行くことが出来ます。年代を数えて行くと、空洞の端がおよそ西暦1700年になりました。日本の年号ではこれが元禄13年になります。元禄なんてどれくらい昔か感覚は無かったのですが、この切り株を見ると、アこの木が直径30センチ程の若木の時代だったのか、と実感できます。西鶴が日本永代蔵を書いたのが元禄元年ですから、その時代もそれ程昔ではないな~、などと思えます。
2月9日に、先ほどのオジサマの案内で、この貴舩神社のすぐ近くで開かれた京大防災研の準教授が取り組んでいる、「深泥が池を美しくする会」に参加して、この年輪の写真を披露させて貰いました。神社の世話役をしている地元の方もおられて、今後ご神木の切り株の保存についても考え中であることが分かりました。年輪研究会とか、年輪研究をしている先生などがおられる様子なので、このご神木の年輪がどれだけの意味があるか、調べて貰えれば良いなと考えています。
それにしても、エネカン事務所の場所が近かったという偶然から、ひときわ高く聳えていた大杉に招かれて貴舩神社に参拝でき、その次の年にこの木が台風で倒れて年輪がストップ、それ以降は見ることが出来なくなった。なんとも言いがたい奇跡に近い偶然の重なりが感じられます。神木は9月4日に倒れることを知っていて、最後にその美しい姿を見せてくれたのだ、と思いましょう。
「大風(おおかぜ)に 倒れし杉の 樹の幹に 往(い)にし世よりの 伝言(ことづて)を読む」
桜がり、雨は降り来ぬおなじくは、濡るとも花の蔭に宿らむ
平安時代の貴族、左近衛中将、藤原実方はある年の春、東山に花見に出掛けて、にわか雨に会い、花の下に立って詠んだこの歌が評判となり得意になっていた。天皇(一条)にまでその噂が伝わったが、藤原行成(能書家、三跡のひとり)に、「歌は良いが、わざと雨に濡れるなど感心しない」と告げ口された。これを恨んだ実方は殿上で行成と喧嘩して、行成の冠をたたき落とし、庭に投げ捨てた。行成が慌てずに人を呼んで冠をとらせ、平然と去って行ったのを運悪く天皇に見られていて、行成は蔵人に抜擢、実方は「歌枕を勉強してこい」といって陸奥の地へ左遷された。赴任先の宮城県で、人の諌めを聞かず道祖神の前を馬に乗ったまま通ろうとして、実方は落馬して死んでしまった。実方の死んだのが998年ということだから、このストーリーは今からちょうど千年前頃に起こったドラマという訳である。
話の真否はとにかく、千年昔の人間ドラマを我々は今もって生々しく実感できることは確かである。例えば、我々研究者と呼ばれる大学等にいる者は、人の評判になるような“良い”論文を書くことにこだわっているが“良い”論文と思っていたのにケチを付けられた、ということは有りそうな話だ。そのために普段はおとなしい先生がカーツとなるということも容易に想像できる。似たような状況は世間のどんな分野にもあるであろう。 我々は今、自動車、飛行機、冷暖房、コンピューターを使い、衣服も食事も千年昔には全く想像も出来なかった生活をしている。その上、千年前にはおよそ想像も出来なかったであろう恐るべき多くの知識、ビッグバン、ゲノム、カオス、エントロピー、などになじんでいる。ところがこんなに大きな身の回りの変化も、人間の感情の動きの基本的なところには、何も変化をもたらしていないことが歴史を読むと判ってくる。我々は皆、千年という年月はすごく長い期間であると思っている。したがって今から千年後の世界を想像せよといわれても誰しも直ぐには頭がめぐらないであろう。しかし上に述べたように、千年昔と今を較べて見ると、それはほんの昨日のようにも感ずることができる。つまり、千年後の世界は、今の我々の世界とそんなに掛け離れたものでは無いのである。
ところで、千年昔といえば、25年を1世代として約40世代である。自分の親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人、・・・・・・というように40世代さかのぼると我々は誰も例外なく、2の40乗≒1兆人の祖先がいることになる。平安時代の日本の人口はおそらく多く見ても数百万人位だろうから、その頃の人々は皆んな、つまり、実方も行成も、それから恐れ多くも一条天皇も含めて何重にも我々の親戚であることには疑いの余地が無い。 その頃に、喜んだり悲しんだり、幸せであったり、不幸であった人々がみな我々ひとりひとりの共通の祖先であるとは愉快なことではなかろうか。我々は身の回りの人々の幸せを自分の幸せと感じ、悲しみもまた自分の悲しみと感ずることは皆同じである。千年昔の実方の憤慨も、行成の、したり顔、も我々は自分の親戚として分ち合う気になることが出来る。こう考えると今の自分の幸せや不幸せも時の流れの中のひとコマに過ぎないことが実感されよう。数え切れない過去の幸せや不幸せの結果として今の我々の幸せや不幸せがあり、今の我々の幸せや不幸せが自分と少しでも係った総ての同世代の人々を通して未来の数え切れない幸せや不幸せの原因となるという訳である。
衣、食、住の最低レベルは充足されないと何といおうと不幸であることは、間違いなく動物としての人間の本性である。戦後の食糧難を知る者にとって、空腹で幸せなことは絶対にないと断言できる。断食をして修行する人ももちろんいるが、いつでも食べられるという事が判っていれば断食を楽しむことは容易である。本当に食べ物が乏しい時に断食する人はいない。この最低レベルが満たされた後の幸せが何かを考えることは、ほとんど人間とは何かというのと等しい難問である。人は様々な異なる感覚をもって幸福を感じ、不幸を感ずる。ある人の幸福は別の人の不幸かも知れないとは良くいわれることである。人は生まれ持った性格(脳の機能の違いであろうか)によって小さなことで幸せになれる人もあり、いつも不幸な人もいる。また何かと運の良い人もいるし、いつも不運な人もいる。一生かかって段々と幸せになる人もいるし、それほどでもないのに一生を振り返ると結構幸せだった人もいる。また一生、いつもみじめであったのに、一瞬の輝きで最高の幸せを得る人もいるであろう。
いずれにしても人間の体に100兆個もの同じ基本的構造の細胞がそれぞれ異なる機能で働いているのと同様に、1個人は同世代だけでなく過去と未来の数え切れない人間のうちの1人にしか過ぎない。それらの人間は皆同一の基本構造を持ちながら、ひとりひとりが皆異なる性質を持って異なる機能で動いている。自分の幸せ不幸せは今生きている我々が作ったものであると同時に我々の先祖が作ったものでもある。千年昔の文化を我々が今味わうことが出来ると同じく、千年後の世界に生きる人々に今の我々の文化をエンジョイしてもらえることを望まぬ人はいないと思う。つまり、人間の幸福は時間を含めた考えによって決まってゆくもので、定常的、不変の幸福というものは無い。つまり、幸福は達成されてめでたし、めでたし、というものではない。ささやかな幸運も、それを守ろうとした途端に“不幸せパターン”に陥っていることになる。いつでも身を捨てる気持ちでいないと“幸せパターン”に乗れないのが人間の宿命であろう。過去、現在、未来全部考えに入れて、今を生きることは、どんなことかを考えて見ることのできるのが人間の特性であり、我々はこれを意識して生きることにより誰しもがどんな状況でも幸福でいられる。
次の和歌を一偈(ゲ)(しめくくり)と受け取って、この歌を生きて実感できるように今の生活を頑張ること、頑張ることの出来ることをもって幸福と考えたい。
ながらえば、またこのごろやしのばれむ、憂しと見し世ぞ今は恋しき。 (新古今集、藤原清輔)
(長生きすれば、惨めでツマラン今の暮らしが懐かしく思えるんだろうナ~、ヤダと思って過ごした昔が今は恋しいのだから~~)。
NPO京都エネルギー環境研究協会代表
京都大学名誉教授 新宮秀夫
(I)イントロダクション
京都大学の工学部冶金学科の後輩で写真家・作家として活躍している紀成道氏から鉄鋼生産についての写真展でトークを依頼され、何となく引き受けましたが、期日が迫って来たので、81才という終活組である事に免じて、少々勝手気ままな鉄について感じていることをまとめて見ました。
そもそも冶金(やきん)という言葉は現在の若者は誰も知らないでしょうが、金属を鉱石から製錬して使えるように加工する技術のことです。日常身の回りにある金属の代表は何と言っても鉄ですね。その鉄について長年考えて来て、一般の方々にはおそらく新鮮なトピックスを集めた文章だと思って下さい。
(II) 鉄の素性(スジョウ)原爆と水爆
周期律表は誰もが中学校で習います。元素の1番は「水素」です。末席にいる元素の中に92番のウラニウムと94番のプルトニウムがあります。広島に落された原爆はウラニウムが、長崎の原爆はプルトニウムが「核分裂」つまり原子番号の大きい元素を「分裂」させて莫大なエネルギーを放出させる爆弾でした。大学先輩、鋳造工学講座の尾崎良平先生は27才の時に長崎の造船工場に勤務していて、原爆が「ヒュー!」と落ちてくる音を聞いて床に伏せ、なんとか助かられたそうでした。その直後の街の惨状を何度も聴かせて頂きました。
次ぎに水素爆弾ですが、これは原爆の後から開発され水素(正確には重水素、三重水素)を分裂の逆に「核融合」させて、莫大なエネルギーを放出させる爆弾です。米国が太平洋に浮かぶビキニ諸島に実験場を作ってドンドン水爆(核融合)のテストをやっていたのは私が中学生の頃でした。爆発の近くにいた第五福竜丸という漁船にいた久保山愛吉さんが亡くなられました。
さて、鉄(Fe)ですが、原子番号26のこの元素は「核分裂」も「核融合」もしない最も安定な元素、つまりいろんな元素が分裂したり、融合したりしてエネルギーを放出した後に生まれる最も安定な原子核構造を持っているのです。安心して使えます、「MOTHER」?
(III) 鉄(Fe)は空から降って来る!
鉄を作るとなると、この写真展で見られる通り大変な作業を頑張ってやり遂げる必要がありますね。ところが、何もしないでも鉄は空から降ってきます。明治37年(1904年)4月7日に兵庫県丹波篠山の岡野という村の山林に轟音を立てて空から火の玉が落ちて来ました。落下場所を掘り起こしたら、4.7キログラムもある鉄(ニッケルを少し含む)の塊(隕鉄)でした。現物は京都大学総合博物館に保存されています。明治37年は今世界一高齢(116才)の田中カ子(かね)さんが1歳の時です、そんなに昔ではないですね。今にもこの会場に鉄が降ってくる可能性はありますよ!!
発見されている世界最大のもの(ホバ:Hoba隕鉄)はアフリカのナミビアのホバ農園から掘り起こされた重さ60トンもあるものです。日本の鉄鋼生産量は年間1億トン位もありますが、それでも60トンもの鉄を例えば日本古来の「たたら製鉄法」で作るとなると大変です。それが空から勝手に降って来るのですから自然は不思議ですね~!
(IV) 地球の中心は鉄のカタマリ!
地球は中心まで6378キロメートルあるそうです。そしてその半分つまり地下3000キロほど掘り下げたら、そこから下はぜ~んぶ鉄!これはグーグルであれこれ調べても書いてあります。
なんやそれなら頑張って深~い井戸を掘って鉄を汲み上げたら(その辺りの鉄は液体らしい)なにも「高度成長だ、高炉(blast furnace)で製鉄だ~」なんて言わなくても鉄が手に入る!と思う人もいるでしょう。でもそんな事は「宇宙開発だ、月に別荘を建てて地球を眺めよう!」というのと同じシロウト騙しの発想だと「技術」を少しでも実際に体験した人には分ります。
ところで、前に書いた「隕鉄」の話ですが、何故宇宙から鉄が降って来るかと言えば、宇宙に散らばっている星のかけらが、元は地球のような中心が鉄の物体だったからです。つまり星の、かけら、は普通の隕石もあれば星の中心にあった部分のかけら隕鉄もある。ということになっているワケです。何しろ鉄(Fe)は最も安定な元素ですから宇宙には結構沢山散らばっているのでしょう。
(V) 鉄と炭素-1
鉄(Fe)の幸せ、を考えるならどうして
も原子番号6番の元素を考えずには済みません。6番って何?というクイズに即答できる人は奇人と思いますが、それは炭素です。ダイヤモンドですね!炭ですね! 鉄と炭素とはナジミの深い関係らしくて、先述のブラスト・ファーネス(高炉)で作られる鉄にはたっぷりと炭素が(20%以上の元素比)で含まれています。
高炉は背が高いから高炉なんですが、英語 blast furnace ブラスト・ファーネスのブラストは風のことです。大量の風をコークス(石炭を蒸し焼きにした炭素のカタマリ)に吹き付けて1700℃もの高温を作り出して、鉄鉱石から酸素を奪い取るのが高炉の役目です。鉄製造の中心設備です。
作られる鉄は一般の人には「鉄」で通じますが冶金を知っている人はこれを銑鉄(せんてつ:鋳物を作る用途に使われる高炭素の鉄)と呼んでいます。
銑鉄をそのまま使う鋳物は大変便利なものですね。子供の頃、我が家には鋳物(鋳鉄)の風呂がありました。五右衛門風呂(ゴエモンブロ)です。薪を燃して直接風呂釜を加熱して湯を温めて入浴です!冗談で親父、母、姉2人、私、妹、6人が一緒にぎっしり入ったことを覚えています、鋳鉄(Fe+C)の幸せです!
(V) 鉄と炭素-2
日頃街角の建築現場で見かける鉄骨や列車のレール、など強くて丈夫で長持ち、という頼みになる鉄材は実は、ブラスト・ファーネス(高炉)で作られた銑鉄からもう一度頑張って炭素を抜き取って(炭素の量を元素比率で1%以下)にしたものです、スチール(鋼)です(鉄の利用は95%以上スチールです)。
銑鉄から炭素を抜き取る工夫が「転炉」と呼ばれる装置でこれは英語ではコンバーター:converter と呼ばれます。コンバートとは変換、転換、という意味です。キリシタンに踏み絵をさせて信仰を転向させるのもコンバートです。
100トンもの溶けた銑鉄を蓋のない丸っぽい大きな器に入れて底から酸素を吹き込む!ご存じのように酸素は何でも燃やします。溶けた銑鉄の中では鉄よりも炭素の方が燃えやすいですから、
銑鉄の中の炭素はアッと言う間に燃え尽きて炭素の含有量の少ない鋼:スチールに変換、コンバート(改宗)されます。その間約30分!すごい早さの改宗です。「MOTHER」写真集を見て下さい。
1960年代から始まった「高度成長期」の始まり時期の1960年に私は大学3年生で、八幡製鉄で3週間実習しました、第3製鋼工場に配属です。ところがそこにあったのは転炉ではなくて「平炉」でした。
平たい炉で、高炉で出来た銑鉄を約100トン注ぎ込んで、上から空気か酸素を吹き付けるのです。銑鉄の中の炭素が燃え尽きて鋼(スチール)ができるまで約8~10時間でした。
実習生はすることがなくてボケ~と平炉の前に立っていたら、工員さんが「見えんですタイ!」と叫ばれ、驚き震えて横に寄ったことを今でも実感できます。平炉の中の銑鉄がどれくらいスチールに近づいて来たか、温度で分るらしいですが、工員さんは白金を使った高価な温度計(熱電対)を消耗させず、目視、つまり自分の目で見るだけで温度(1700℃近い高温)を数度の精度で判別できるのだと後で聞かされ驚きました。
その後すぐに12基もあった平炉に代わって「改宗」時間の短い転炉が導入されて、懐かしい実習工場も全面改修されたと聞きました「高度成長」!!
(VI) 体の中の鉄(Fe)、街中の鉄(Fe)
人工関節などに使われるステンレス・スチールも体内の鉄ですが、ここは血液のお話デス。人は血液のおかげで空気中から酸素を取り込んで、食べた食物を体内で燃やして活動のエネルギーにしています。血液中の赤い色のものは肺の中で空気から酸素を取り込んで体の末端まで運ぶヘモグロビンという化学物質なのですが、ウィキで調べるとそのヘモグロビンの真ん中に,で~ん,と座っているのが鉄FeIIです。鉄(Fe)と人間の堅~い結びつきがわかります。
喜びも悲しみも鉄(Fe)を含んだ血が回っているおかげ様です。ウィキから写した図を見て下さい。ちなみに、Feの肩にIIと書かれているのはFeが2価であることを示しています。2価の鉄は身近にはFeO ウスタイトという黒っぽい物質として存在します。
3価の鉄も一般的に存在します。鉄鉱石は主に、3価の鉄Fe2O3 。これはヘマタイトと呼ばれていますが赤っぽい渋い色、ベンガラですね。
京都の町のシンボル、ベンガラ格子は酸化鉄が塗ってあるんです。やはり鉄!です。
(VII) 鉄(Fe)と水(H2O)
ステンレスでなくても、普通は鉄鋼材料を水に浸けて使っても大丈夫です。コレ、鉄は水素より酸素との親和力が小さいから水(H2O)から酸素を奪い取ることが起こらないからだ。と見るのは実はマチガイです。冶金的専門知識によれば、鉄は水素より少しだけ、酸素との親和性が強いのです。この「少しだけ」という事には大きな意味があります(後述)。鉄を水につけてもOKなのは露出している鉄鋼材の表面積が少ない事と、酸化皮膜が水との接触を邪魔するからです。
今は新エネルギー開発が盛んで、水素をエネルギー源としてガソリンのように使う試みが実用化されつつあります。しかし水素は気体でそれを貯蔵するには高圧のボンベが必要であり、かなりアブナイわけです。実はボンベに代えて表面積の大きい活性化した鉄粉を袋に入れておいて、水素が必要な時に、その鉄粉に水(H2O)をかける、と忽ちブクブクと活発に水素が発生する。という工夫が開発されています。
先述の「少しだけ」親和力が大きい、という事に意味があるのは、鉄が水から酸素を奪って自分は酸化鉄FeOになり、水は水素を放出する反応は発熱も吸熱もほとんどゼロなので、鉄粉による水素貯蔵法はエネルギーのロスがほとんど無い、という利点があるためです。
私が自分で実験して、確かめて特許も取ってありますから、マチガイありません。やはり鉄(Fe)ですね~。
(VIII) 自分の手で製鉄する!
高校の世界史で必ず習う「ヒッタイト」という国?を覚えていますか?現在のトルコあたりの国で、3500年ほど昔に世界で始めて製鉄技術を実用化して武器をつくって、古代エジプトを打ち負かしたらしいです。その製鉄技術は朝鮮半島を経て日本にはようやく6世紀頃に伝わりました、万葉集の頃?
その製鉄法が「たたら製鉄」と呼ばれるのですが。基本は簡単、鉄鉱石と木炭(炭)を交互に重ね合わせ、密閉して加熱する。これだけです。加熱の温度は時代と共に高くなって江戸時代には一1300℃くらいまで上がったらしいですが、始めはようやく800℃くらいだったらしい。
高炉だ、転炉だ、高度成長だ!と言って1700℃の高温を利用しなくても800℃で鉄が出来る!いったい技術は進歩したのか、退歩したのか、と思いませんか?
800℃で鉄が作れるのなら、自分の手で鉄を作ることも可能なので、実際にやって見ました。と言っても「たたら」の真似をしたのでは意味がない。冶金の知識を使った効率の良い方法です。基本は「たたら」と同じく、鉱石も木炭も固体のまま固体の鉄を作るのですが、反応時間を短縮することが肝心なので、鉱石と木炭とを出来るだけ細かく粉砕混合して容器に詰め込んで、外から加熱して950℃くらい(800℃では反応速度が遅い)で約1時間。若狭湾エネルギー研究センターで協力してくれた大西東洋司氏の撮った証拠写真を見て下さい。
サガーと書いてあるのは、鉄製の容器のことです。出来たのは「海綿鉄」と呼ばれるスポンジ状の純鉄です。「改宗」させなくても炭素はほとんど含んでいません。
純鉄ですから、鍛錬するか再溶解するか、すれば鉄鋼材料を自由に作れます。このまま先述の水と反応させて水素発生用にも使えます。
原料の鉱石と木炭とを混ぜて微粉砕するところが新しいので、特許を書いたら特許庁はちゃんと「新技術」であることを認めて特許許可してくれました。使用する炭素量が少ないので、発生する2酸化炭素が少なく、環境保全上も理想的です。高度成長の後続技術?自分の手で作れる、となると鉄(Fe)を身近に感じられませんか?
(IX)「鐵」の幸せ、「鉄」の幸せ。
鐵鋼会社の人、とくに幹部の人達は「鉄」という文字を使いたがらない様子です。この字は「金と失」が合わさっていますね。誰しもお金を失いたくない、とくに企業の第一目的は利益すなわちお金を得ることですから当然です。
そして「鐵」という古い文字は「金・王・哉」に分解できることから、「鐵は金の王なる哉」となるので、断然これを使いたがることになっています。冶金学の草分け本多光太郎の言葉です。
鐵(Fe)の幸せ、はそうなると高度成長して利益がどんどん増す、ことですから誰も納得でしょう。
成長している時にはだれも、何処まで行くのか?なんて考えもしないで、ひたすら頑張るのですから、これはモチロン人間の本性に合致した最高の幸せ状態です。写真集「MOTHER」に写っている現場の人達は皆、光り輝いています。良いですね~。
しかし宇宙の原理は、諸行無常、何でも得ることがあれば必ず失うことも起こります。さて、失うことに幸せがあるでしょうか? 経済学の基本として必ず習う「限界効用逓減(ていげん)の法則」はお金であれ何であれ、多く得れば有り難さ(効用)はどんどん減る、原理を教えています。
10円持っている時の1円の値打ちと10,000円持っている時の1円の値打ちには、誰が考えても大きな違いがありますね。大きな違いを数式で示せば、1円の値打ちが1/10 から1/10.000に減っているのです。物の豊かさを味わう幸せと、物の値打ちを味わう幸せ、とは相反した状態に存在するのです。
そうなると、鉄(お金を失う)の幸せも、鐵(お金の王様)の幸せ、もどちらもOKになります。高度成長もOK、景気後退もOK?が世の習いでしょうか? どちらも素晴らしい「写真展」になり得ます。今回は紀成道氏の頑張りで「鐵の幸せ」をたっぷり味わうことができました。
先述の世界最年長116才の田中カ子(かね)さんは、ギネス登録のお祝いにインタビューに来た記者の愚問「長生きされて来た人生の中で、いつが一番楽しかったですか?」に対して即座に笑いながら「今!」と答えられたそうです。「MOTHER」ですね、頑張りましょう!
1. まえがき
情報理論においてシャノンが考えた確率の評価法の新概念の名称について、フォン・ノイマンがそれをエントロピーと呼べば良いとアドバイスし、その理由として“エントロピーが何か分かっている人はいない”からそう名付ければその考えが論議される時にいつも優位に立てる、と言ったという話は有名である(1)。この逸話が語られてから50年以上経つ現在でも、エネルギー学などの基礎として皆が利用しているエントロピー概念の単純明快でだれにもわかるような説明は示されていない。
本稿では先ず、3つのキーワード、
I 「エントロピーとは数量を数そのものではなく、その桁で数えることである」
II 「数量の桁は数量の発揮する効用(utility) すなわちエントロピーを示す」
III「桁で数えるとは、数の対数をとることである」
によってエンロトピーとは何かを簡明に提示して、その妥当性が様々な分野で成り立ち、利用されて来ていることを示そうとするものである。但し、ここで数量として考えるのは、単位物質量あたりの体積、一人当たりの所持金額、など密度・濃度(またはその逆数)として示される数である。
エントロピーという言葉は、変化、変易、を表すギリシャ語に由来するもので、熱力学の分野における命名だが数量の増減が如何にその効果に変化をもたらすかの指標として適切な表現だと言えよう。
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(2)展開 アンダンテ:イタリア語、ゆっくり歩き語る。涙がこぼれる~~?
カ子さんは wiki で見ても、テレビで見ても 100 年前も現在も魅力に富んでいます。
ここではカ子さんの発言に刺激されて、人生のいつが一番楽しいかの、数楽(すうがく)的楽しみをエントロピーとして考えて見ることにしました。