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非論理哲学論考・矛盾、無限、因果(2)

3 誰が何を「矛盾、無限、因果」について述べたか

3.1 ギリシャの哲学者達

3.1.1 ヘラクレートス
ソクラテス以前の哲学者、といわれる人々のなかでは、ヘラクレートスが「ある、と、ない、とは同じであり、同じでない」などと矛盾を認めるような事を言ったとされているので有名である。しかし、BC500年頃の人であり、書いたものの断片しか残ってないので、解説など読んでも本当はなにを言いたいのか判定は難しい。そのほかにも彼に帰せられる有名な言葉が多い、例えば「万物は流れる」、「同じ川に二度入る事は出来ない」、「上り坂と下り坂は同じもの」,「善と悪とは一つである」、「戦いは万物の父」などがある。なんだか親鸞の「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」という悪人正機説(悪人こそ救われる)みたいな、一見ハッタリ風、その実何か意味ありそう、という雰囲気の発言ばかりである。

これらの言葉の何処が今問題にしている「謎」に関係するのか、少し勝手に解釈して見よう。上り坂と下り坂が同じ、というのは直ぐに解る。つまり論理的にいうなら、道は坂道と平坦な道としかないはずである。上り坂、下り坂、と区別するのがおかしいので、それらが同じであるといっても、矛盾ではない、と理解できよう。これはだから初級コースの練習問題、と見よう。では「善と悪とは一つ」はどうだろう。善という概念は悪という概念なしには無い、と見ると坂道の時ほど答えは簡単でない。善も悪もない、平坦な道などあるだろうか? 「戦いは万物の父」は上級コースかも知れない。ヘラクレートスはホメロスが永久平和を祈ったのは、世界の破壊を祈ったことになる、と決め付けている。ヘラクレートスの考えでは、社会は戦争と平和が一体なってこそ調和が保てて、長続できるのであって、平和の永続は人類の滅亡の時だけに実現すると見たのだろうか? いずれにせよ、「反対の事柄の共存」という、矛盾が実存するのが世の中である。と平然と(?)言い切る姿はアリストテレス流とは少し違うようである。矛盾の実存の現実をヘラクレートスは「自然は隠れる事を好む」という言葉に残している、その意味は、隠れた調和を矛盾がもたらしている、と言う事だと解説には書いてあった。

3.1.2 パルメニデスの流れ、新プラトン主義

パルメニデスはヘラクレートスより少し後の人で「ある」と言い張った人。と言えばなるほど哲学者みたいに聞こえるだろうか?「ある」とか「ない」とか言い張ってケンカするのが哲学者の商売らしいことは、多くの原典、解説書をめくって見ると、つくづく感じる事が出来る。ところで、パルメニデスを知ってる振りをする為のキーワードは「一(いち)」である。彼の主張は、万物は一であって、世の中の諸々、全ては一から分かれたものに過ぎず、結局一と同じ事である、ということらしい。
プラトンはソクラテスの一番弟子だが、ソクラテスを引っ張り出して架空の会話形式の本を沢山書いている。「パルメニデス」と言う本もあって、そこに「一」についてのパルメニデスを交えた会話があり、プラトンの意見として(?)「一なるものは、初めも終りもないとすれば、限りのないものとなる」つまり無限も一の中にあると見ている。
この、一の思想は、プラトンの作った学校「アカデメイア」の中で脈々と受け継がれたようで、時代が下がるにつれて、何となく神秘化されて「新プラトン主義(ネオ・プラトニズム)」と呼ばれる思想に磨きあげ(?)られていった。ネオ・プラトニズムの代表者みたいな人としては、3世紀にローマで活躍したプラトンの解説者として知られるプロティノスと5世紀にアテナイのアカデメイアの塾頭をつとめたプロクロスが有名であり、矛盾、無限、因果に関連の深い著書があるので、少し調べてみよう。
プロティノスには「善なるもの一なるもの」「幸福について」などの論文がある。要するに、パルメニデス以来の一の思想によっており、一から、ヌース(知性)とプシュケー(精神、魂)が出て、三者が人間の英知界を作ってる。それと別に肉体など実体のある感性界がある。一は必然的に「善」であるはずなので、全ては善である事になるが、感性界の肉体がこの一、すなわち善と合体することがある。それが神秘的な体験なのだ、と自分の体験を披露している。ここまで来ると、なにやら宗教がかってしまうが、ネオ・プラトニズムというとオカルト的な哲学を指す場合もあるのは、プロティノスの著書に由来しているようである。幸福とは勿論、喜びや楽しみ、悲しみや苦しみなどの外にある、善を求める行動の中にあることになっている。

約200年後のプロクロスは「神学綱要」という著書に「一と多」、「原因」、「発出と帰還」、「原因と結果」、「存在、限度、無限」、という章があり、命題と証明という形式で、「謎」について論じている。命題11には「すべての存在は、ただ一つの原因、すなわち第一原因から出発する」と書いてある。第一原因とは勿論「神」であり最高の善なのだが、5世紀のアテネではまだキリスト教の縛りは行きわたっていなかったのか、プロクロスはキリスト教嫌いであったと解説書にあり、彼の神学もキリスト教的タイトルながら、まだギリシャの神を指している。しかし、原因と結果の無限遡上を第一原因で留めて、そこに発生する矛盾を神様がカバーするというパターンは、やや安易な逃げようで、哲学から離れていこうとしている。
ローマ皇帝ユスティニアヌスによって、アテナイに於いてもギリシャの伝統的哲学が禁止になるのが528年だったということなので、プロクロスはギリシャ哲学最後の人とも言われている。
13世紀になって、神学大全という、問いと答え、の形式のキリスト教の思想の集大成を書いたトマス・アクイナスは「原因論」というプロクロスの「神学綱要」に基づく本の注釈書をかいているが、ギリシャ哲学がキリスト教に取り入れられて、第一原因をなすのがキリスト教の神、として解釈されて行った事がわかる。、

3.2 中国思想と「謎」

ギリシャ哲学ばかり探って、東洋哲学を忘れてませんかと言われるのは心外なので、少し調べてみよう。秦の始皇帝となる前の秦王に仕え、讒言によってBC233年に処刑された韓非の書いた韓非子、難勢篇にある矛盾という言葉のいわれはあまりにも有名だが、そんな逸話から来た言葉を今も我々が使っているのは面白い。英語でcontradiction というより矛と盾を頭に描く言葉の実感はすばらしい。難勢篇のこの言葉の出ている所の話は、賢人はどんな権勢にも屈服しない、権勢はどんな賢人をも屈服させる、すなわち賢人と権勢とは元来相容れない性質のものである、だから賢人が権勢に用いられる訳がない。というような話である。あまり哲学的な話でないのは当然で、韓非子は法術すなわち、政治を上手くやって行く法律の運用、整備の仕方の本なのだった。

「善と悪とは一つ」というヘラクレートスのと全く同じ言葉が「老子」20章に「唯之與阿、相去幾何、善之與悪、相去何若」とある。唯はイエス、阿(あァーという、いい加減な返事)はノー、と取れるので、この文は「イエスとノーも、善と悪も、たいした違いは無い」と解釈しよう。39章には「一」が全てという文もある。老子の思想は「無為而無不為(なすなくして、なさざるなし)」が基調であるから、善だ悪だと騒ぐのは愚かしい、まして、それらを同じだ、違うと論ずるのは、なおダメではないか、という感覚がある。20章の冒頭の言葉は「絶学無憂(学を絶てば憂いなし)」なのだから、矛盾の解消、無限の限界、因果の始まりになにがある?などと研究したり、勉強したりせず、あるがままに全てをうけいれてはどうですか? と説いているのかも知れない。

列子には「不知所以然而然命也(然るゆえんを知らずして然るは、命なり)」とある。つまり、「何でそうなったのか理由が判らないのにそうなった時は、それが運命だと思え」いう事である。「何事も原因なくしては起こらない」などと屁理屈を捏ねる事をしない、というのもやはり「哲学」ではある。この文の総括には、こんな哲学も応用できそうである。運命は因果と表裏一体の事柄である。

3.3 アラビアのアリストテレス

高校の世界史でヨーロッパの中世を暗黒時代(ダーク・エイジ)と呼ぶ事を習った。プラトンが創設した学校、アカデメイアが閉鎖された西暦500年ころから1200年頃までは西洋では文化の中心が無くなって折角のギリシャの哲学も伝承する場所も無い有様だったらしい。その西洋の暗黒時代に、なんとギリシャから東に伝わった哲学がアラビアの国ぐにと、イスラム化したスペインで盛んになりアラビア語のギリシャ哲学書が沢山出た。「謎」に関係深そうな人物をさがして、アル・ガザーリ、とアヴェロエス(イブン・ルシュド)の書いた、タハフート・アル・ファラシーハ(Tahafut al Falasifa)、とタハフート・アル・タハフート(Tahafut al Tahafut)に出会った。これらは「哲学者の矛盾」と「矛盾の矛盾」と訳されるようなので、アラビア語の矛盾という言葉が判る。

では、中味は何かというと、ガザ-リがアリストテレスの哲学は、始まりの始まりまで原因を追及しないのはおかしい、第一原因となるものを、目的因とするだけですまして、それが何によって出るのかという、肝心かなめの議論がなおざりではないか、これは哲学者の矛盾である。と非難してるのを、アヴェロエスが、ガザ-リこそ矛盾しておる、おまえの「矛盾の本」は矛盾であるぞ、と論破しようとしている。アヴェロエスはアリストテレスの「注釈者」と呼ばれたそうで、ギリシャ哲学をスコラ哲学に引き継ぐ役目を果たした、とされている人物である。ギリシャ語がアラビア語に移されて保存されそれがラテン語に訳されてスコラ哲学(キリスト教の教義すなわち聖書学とアリストテレスの哲学の合体思想)になったとは事実は小説よりも奇なり、と思いませんか?やはり因果のなかには偶然もあるのかもしれない、と、読んだ本の中味よりも実際に起こったドラマのほうが説得力ありそうな気がしてくる。

3.4 仏教と矛盾、無限、因果

「宗教」とは元来、人間が考えても解決出来ない悩み、そしてその源にある「謎」を取上げて、受付けるもののはずである。そこで先ず話を仏教に向ける事にしよう。仏教のキーワードには日本人なら誰でも知ってる、空、因縁、解脱、などがある。それらを改めて考えてみれば、なるほどお経は、矛盾、無限、因果とは何であるかの説明なのだな、と誰しも気がつくだろう。

3.4.1 般若心経、維摩経に見る「矛盾」

最もポピュラーなお経である般若心経には「ルーパム(色)はシュンヤッタ(空)であり、シュンヤッタはルーパムであるぞ(色即是空、空即是色)」と書かれている。観音様が一生懸命に深く考えたら、このように見切るに至った。という事らしいが、ルーパムとは、この世で変化する実態のあるもの、シュンヤッタは空性すなわち、なにも無い事、だと言うのだから「ある」が「ない」で、「ない」が「ある」、ということが判った訳である。ズバリこれは「矛盾」ではないか? 要するに心経は、宇宙は矛盾が基本である、と言ってるに等しい。アリストテレスは、矛盾を受け入れたら「何でもあり」になって論理学は成り立たない、だから論理学の基本公理を「矛盾に至った時にその論議(命題)は真でないとする」すなわち「矛盾律」に置いた。仏教すなわち宗教では「何でもあり」になっても少しも困らないのだから、率直に「矛盾こそ宇宙の原理である」と断言するわけであり、誠にさわやか、そして明解である。

矛盾について徹底的に論じているお経がある。維摩経(ゆいまきょう)と呼ばれるこのお経は、居士すなわ一般の社会人でありながら、汚れのない人(ヴィマラキルティー、維摩詰)と呼ばれる最高のインテリジェンスを持った人物が、「不二」とは何か、を例を挙げて説明するストーリーが中心となっている。不二(ふに)は正に「ある、でも無く、ない、でも無い」という考えであり「どちらも無い、のでも無い」という思想だが、勿論説明は極めて困難である。つまり、アリストテレスの所で触れたように、矛盾を認めてしまうと、論理的にその説の正しさを「証明」することを先ず諦めねばならない。この原理に仏教では、とっくの昔に気がついていて、しかも衆生の悩みは、生きていく中での矛盾にある、というので、矛盾を如何にそのまま受け入れることが可能か、を示そうとしたのであろう。

このお経には、大勢の菩薩達(仏道の修業を完成しようと目指す修行者)の、不二とは何かについての、優れた発言が順番に書かれており、最後に維摩詰の発言を皆が固唾を飲んで聴こうとしていたが、ついに維摩詰は何も言わず黙したままだった。この「維摩の沈黙、雷よりも響く」というのがこのお経の、さわり、である。後でも触れるが、20世紀はじめの哲学者ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」という本には「話せない事については、沈黙せねばならない」と書いてある。その第4章には「示せる事は、語ることが出来ない」という文もある。矛盾を受け入れたら、何も「論理的」には説明できないけれども、示す(show) ことは出来る、と云いたいのではないか、と受け取ることにしよう。維摩経は別名「不可思議解脱の法門」と呼ばれる、とこのお経の最後に書いてある。言えないけれども示せる、なんて言う哲学(生活の知恵)の霊験は、不可思議としか言えないのである。

3.4.2 観無量寿経、ナムアミダブツ

南無阿弥陀仏、と唱えた事の無い人はいないであろう。その阿弥陀佛は、無量寿仏と呼ばれている、無量すなわち無限の命を持つ如来、すなわち仏様である。インドで書かれた仏書にはやたらに大きな数が出てくる。どれだけの数になったらそれが無限(無量)なのかを考えようとした修業者が多かったに違いない。
例えば金剛経というお経には、布施を施す回数がインダス河の砂粒の数(恒河砂と言う数の単位)程になれば、涅槃(ニルバーナ、完全な幸福、極楽往生?)に至れるか、などと書いてある。恒河砂は中国では、1の後に0が52個並ぶ数らしいが、それは大きい数であっても無限ではない。しかし金剛経には、インダス河の砂粒の数ほどインダス河があったとした時、その全部のインダス河の砂粒の数ほど布施の回数を増やしたら涅槃に至れるか、と問いが続いている。このように、考えのなかでインダス河の数を繰り返し増やす、というプロセスを作るとそれは、確かに無限になる。しかしこのお経では、勿論それでもダメですというのが説教の結論で、涅槃にいたるにはそれよりも大切なたった一つの法句を理解するだけでよろしい、と言う話になっている。つまり、そんな数学的無限の実現でなくても、目の前に無限まで進むと同じ効果のある生き方があるじゃないか、という教えなのである。

観無量寿経を主要テキストとして採用する浄土教では、有名な法然の「一枚起証文」にあるように、とに角、難しいお経を読んだり、学問に励んだりしても、悟り、解脱、極楽往生にはサッパリ効果ないと思いなさい、悟りはただ「なむあみだぶつ」と唱えるだけ、それ以外の一切の事は無駄だと判りなさいと断言する。そして自分、法然がこれを示します、ほら、この通りです、と両手の朱印を押した念書が作られて、伝わっている。阿弥陀如来の「無量」性のご利益は、何も無量を求めてあくせく苦労したり、考えるところでなく、身の回りにすぐにある、という解釈はあとで、工学的視点、のところでとりあげよう。

3.4.3 始まりの始まり、父母未生以前

仏教の中心的説教には、因縁がある。因(ヘト)も縁(プラトヤーヤ)もどちらも原因のことで、直接的原因が「因」、間接的、補助的な原因は「縁」らしい。仏教の説話の基本的パターンは、良い行いをした因縁のおかげで、ありがたい果報がえられたと言う単純なものである。お坊さんの説教を聴いても「すべては縁ですよ、縁を大切に考えなさい」と繰り返しおっしゃる。しかし、仏典に書かれている、因縁の意味は、その気で読むとギリシャ哲学者たちをも悩ませた「謎」の一つである、因果の始まり、元の元にある、説明不可能なところに解決をあたるのが説法の主旨、宗旨だとわかる。

一休さん、といえば我々は漫画で知ってる頓知話の小僧くらいの印象しか持っていない。その一休さんが目をつけたところが、やっぱり、すべての始まり、だった。一休宗純(1394-1481)の著書といわれる「一休水鏡」に「われ見ても、久しくなりぬ、住吉の、岸のひめ松、いくよ経ぬらん」という法語がある。この書の解説である「めなし草」によると、この法語は父母未生以前(父母の生まれるまえ)の事を考えたら、ものにこだわる心の愚かさがわかる、ということらしい。そして、「父母とは天地のことである」とあり、われ見てもの「われ」とは大明神のことで住吉の岸とは、彼岸すなわち天国のことである、と言うような意味の説明がある。禅僧としての一休の思考は、単なる原因、結果の追求を超えたらどこまで行かねばならないか、という根本問題まで至っている。そしてその解決は大明神か仏によるものと見なしていることがわかる。

直接的な原因と間接的な原因を考える、というのは、アリストテレスの4つの原因の区分に似ていて面白い。けれども、原因と結果の結びつきを少し慎重に見れば、今、目の前にある事柄を生じた原因は本当は無数にあることがわかる。しかし人は、例えば玉突きのゲームをするときの赤と白の2個の球だけに注目して、白がどんな運動をしたので赤がどんな風にはじかれたか、という物理学でいう2体問題のように物事を取上げ勝ちである。
あの人と私とは「赤い糸」で結ばれていた。などとよく言われるが、本当はそんな「糸」は無数にあるので、その中の一本だけを取り上げて「よかった」とか「残念」とか騒ぐのはおかしい。けれどもそんな気持ちを大切にして生きているのが人間なのだから「理屈じゃない」という矛盾の世界を我々は日常的に受け入れていることになる。すべての事柄にはそれぞれ無数の原因がある、と言う事に目をまともに向け、しかも仏様にも頼らないで行こうとしたらどうなるのかは、後でまた考えてみよう。

 →非論理哲学論考・矛盾、無限、因果(3) 

Written by Shingu : 2003年06月14日 11:40

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