トップへ戻る

非論理哲学論考・矛盾、無限、因果(3)

3.5 キリスト教と矛盾、無限、因果

ユダヤ教から新しく現れ出たキリスト教は、仏教のお経に当たるものは聖書一冊である。この新宗教は、始めから矛盾をカンバンに民衆の心をつかんで広まった。けれども、聖書の使徒言行録にはパウロがギリシャのアテネで演説をした時、キリストが十字架の上で死んだあと復活した、話をしたところ数人を除いて皆立ち去った、と書いてある。死人が復活するという、あり得ないこと、つまりキリストは、死んでいる、と、生きている、とがどちらも眞、という矛盾を前面に出してしまっては、誰もバカバカしくて聴いておれん、という状態だった事がナマナマしく読み取れる。けれども、ディオニシウスとダマリス(女性)という名前まで記された2人も入れて、数人が帰依したらしいことはすごい。
矛盾と無限、因果とキリストを信ずる事に関してはその後延々と今日に至るまで、数え切れない人々が、意見を述べ、本を著してきている。それらの中の有名人の言葉をいくつかのぞいて、この宗教の「謎」との関りを探ってみよう。

3.5.1 バカバカしいから信ずる

ラテン語で「Credo quia absurdum」は英語に近い(I believe because it is absurd)ので、意味は上記の通りだと直ぐに分かる。これはキリストが復活した、という聖書の話をどう受け取るかについての、開き直った発言で、甚だ率直にして印象深い言葉である。テルトリウスという西暦200年頃の、キリスト教の教父(8世紀頃までのキリスト教の説教をする人は教父と呼ばれる)の書いた「キリストの肉」という本にこの言葉の原型があり、そこにはもっと明確に矛盾を「不可能だから確かなのだ(certum est quia impossible)」と表現している。
教父の中で一番有名なのは西暦400年頃に活躍したアウグスティヌスである。膨大な著書の中の「告白」に、「(カソリックの教義は)バカバカしくて、しかも証明出来ないものだが、証明出来ないからこそ、信ずるしか無い」と書いている。
理屈なしで「信ずる」しかない。と言うところは「ナムアミダブツ」と全く同じ発想であり、宗教とは思考停止が前提なのだと判る。けれども、アリストテレス流の論理学(現代論理学もその中に入ることはすでに述べた)の理屈で考えるだけが「考える」ことでは無いかもしれない。それについてはまた後回しにして、論理学的に神さまと人間の関係を考えようとしたらどうなるかを少し見ることにしよう。

3.5.2 神の全能性と人の自由意志

前述のアウグスティヌスには「自由意志論」という本もあり、そこでは、人間に自由意志があり、人が気ままに判断をすることが可能なら、全知全能であるはずの神様にも人の行動を予測出来ないことになる、という矛盾を問題にしている。この問題は、自然現象に原因と結果の厳密な結びつき(決定論)を仮定したら、人は「自由意志」で自分の行動を決められない、という「因果」の謎につながっている。アウグスティヌスは、人間にとって矛盾でも、神様にとっては矛盾でない、だからこそすべてが(神様のおかげで)上手くいく。けれども、神様が始末をつけて下さる、とタカをくくって人間が不真面目に行動したらキッチリ罰が当たります。と説明にならない説明をしているが、説明になる説明、は誰にも出来ないことを改めて確認する事も大切ではある。
人の自由意志の有無と神様の全能性の論議で有名な人物に、アウグスティヌスより100年ほど後のローマ人ボエティウスがいる。論理学者でもあった彼は、キリスト教徒では無かったらしいが、人間の生き方とそれに関係する神様の役割りを論考して「哲学の慰め」というよく知られた本を残している。

自分が明日何をするか、神様がご存知なら、それは決まっていることになり、自分は自分で決めたと思っていても、実は自分の自由意志は無いことになる。つまり未来永劫のすべての事柄は決定している。逆に、自分の明日の行動を自分がどう決めるか、自分が決めるまで神様にも判らない、とすると神様は全知全能では無いことになる。ボエティウスは「(明日の事に関する)人の予知と神様の予知、とは質が違うとして納得しよう」と結論している。その悩みの元は論理学にこだわるから発生するので、アリストテレス流の論理学を超えた発想に切り替えて見るという発想には至らなかったようである。

煎じ詰めれば、原因と結果(因果)の厳密なつながり(決定論)を認めるのか、原因の無い結果も有るのか(偶然性を認める)の問題になり、ギリシャの哲学者エピクロスが原子の動きのずれ(揺らぎ)を理由に原因に厳密には結びつかない結果もあり得る、と言って人々の嘲笑をかって以来、今日に至っても論議が続いている。
要するに、ここでも、矛盾を含む問題をアリストテレス流の論理学にもとづいて「証明」しようとしている訳である。繰り返して言うと、アリストテレス流の論理学とは、その根っこの根っこに、矛盾を認めない事すなわち「矛盾律」を置いている。この論議についてもあとでまとめて考えることにしよう。

3.5.3 「神の存在証明」の元祖

11世紀にカンタベリーの大司教だったアンセルムスは「神の存在証明」を著書「プロスロギオン(対語録)」に書いた事で有名である。プロスロギオンには神の存在証明は第2章と3章がそれに当ててある。「神はそれより大きなものを考えることの出来ないようなもの」というのがアンセルムスの神の定義(?)で、神は、知性の中(考えの中)だけでなく(実際に)存在するものである、と彼は第2章で主張する。取り分けて「証明」という雰囲気では無いけれども次の第3章には「神が存在しない、と考えることの不可能なこと」という見方で論じている。確かにそういわれると、そちらの方が説得力はありそうに思える。
それより大きなものが無い、という考えは無限という概念につながる。神が無いとは思えない、という考え方は、誰かが始めないと宇宙は始らないという、元の元、つまり因果の始まりの説明不可能性につながる。そして結局、「ある」ことを示せないけど「ない」ことは受け入れられない、のだから、それは「極めて眞に存在する」とアンセルムは書いているのだが、納得できない人も、その気持ちは判る、と言うかも知れない。
こんな議論が「存在論的(オントロジカル)」な神の存在証明と呼ばれるものである。オントロジーはギリシャ語の「オン(ある、存在する)」から作られた言葉であるが、アンセルム自身は自説をオントロジカルな証明と呼んではいない。

3.1.2節で触れた13世紀のキリスト教の聖人、トマス・アクイナスも「五つの道」によって神の存在証明を提示した。五つの道に示されたトマスの神のイメージは勿論大変判り難いけれど、不遜を省みず一言でサマライズするとそれらは、1. 始めに宇宙を動かした者、2. 因果の始まりである者、3. 始めに存在した者、4. 最高に完全な者、5. 宇宙を善に向かって動かす者、らしい。なんだか全部が同じことを言ってる印象もあるけれども、トマスと五つの道、というキーワードの記憶の助けにはなるかも知れない。
神の存在証明でその後に書かれてよく知られているものには、17世紀になってデカルトが書いた物がある。けれどもこれの書かれている「方法論序説」をいくら読んでも納得できる気はしない。アリストテレスが「矛盾律」は証明出来ないから、受け入れるより仕方ない、と出発点を明確にしているのと較べると、デカルトの説明は結局無駄骨折りに見える。つまり、神はその存在を論理的に証明できてしまったら、それは神ではない、というような性質のものであるはずだ、という点を見過ごしているためである。

要するに、神は元来矛盾を受け入れてこそ神なのだから、その存在証明を、矛盾律、に基礎を置いた論理学で示そうということ事態に「自己矛盾」がある。しかし、キリスト教はスコラ哲学、というアリストテレスの哲学とキリスト信仰とを合体させた教義を採用しているので、論理学的証明を大切にする。したがって、繰り返し、神の存在証明が試みられてきたのである。

3.5.4 「オッカムの剃刀」、「ブリダンのロバ」、「反対の一致」

「謎」について研究したキリスト教信者は数多いので、誰の思想を代表と見なして、取り上げるべきかは難しい。そこで、西洋人なら必ず知っている、一言、で有名な三人を調べて、キリスト教と「謎」の関係を見ることにする。

ウィリアム・オッカムは14世紀の神学者、哲学者である。大論理学、や原因論、などという本がある。「オッカムの剃刀」は、肝心かなめの事だけ残して付帯的なことを全部削ぎ落とす、と言う意味で使われる。オッカムは、剃刀、などという表現はしていないけれども、意味としては「船頭多くして船山に登る」様な事をしないのが論理学では肝心です、と言うような事は確かに書いている。オッカムは「新しい道」を拓いたとされる。それは、その当時はプラトンのイデア、のように物の認識は普遍的な概念がまずあり、そのおかげで個々の物を理解、認識、納得出来る、という思想が当たり前であったのに、いやそうでは無い、物はすべて1個ずづ全部ちがう、普遍的な名前をつけるのは便宜の為だけである、と言うような、唯名論(nominalism)と呼ばれる思想を広めたことによっている。人間、などというものは無い、A男、B子、・・・が60億ほどいるだけてある、と言った理解の仕方も確かに面白くはあるかも知れない。
そのオッカムの因果の考えがまた大胆で、因果律を全く認めないと言う発言をしている。彼のいう因果律は結構難しいけれども、端的には、法律で今も使われる「あれなければ、これなし(ラテン語で、sine qua non)」というような、ことを全く否定している。この発想は、また後で触れるが18世紀のヒュームや、前にも触れた、20世紀のヴィトゲンシュタインなど、因果関係のある種の否定論の震源なのであろう。あれなければ、これなし、をたてにしないと、ケンカの口実も作れないはずだが、それでどうなるかは又考える事にしよう。

ブリダンも14世紀の哲学者で、フランス王妃との関係がばれて、簀巻きにされてセーヌ川に放り込まれた、という伝説がある。ブリダンのロバ、は、大変有名な話ながら、ほんとにブリダンが言ったという証拠はないらしい。「ロバの前に、全く同じ二つのエサを、全く等しい距離、に置いたら、ロバはどちらのエサに向かうのが得か、と言う判断が出来ずに餓死するであろう」と言うのがその話である。これは、まともに、判断というものが、偶然性を含むのか、厳密に理由(エサに差が無ければ、どちらかを選ぶ理由がない)を必要とするのか、という問題を提起している。始めの始め、とか、最初の原因の原因、などと大げさな事を言わなくても、因果関係を少し考えると身近な事にも説明困難な、矛盾が露呈するものだと言う例として、しかもユーモラスな話なので、頻繁に引用されている。

「反対の一致」で有名なのは、15世紀の人ニコラス・クザーヌス、である。ドイツのモーゼル河の船主の息子で、カソリックの枢機卿になった人物。信念に極めて忠実に生きて、かつ、司教、枢機卿、教皇補佐にまでなれたのは卓抜した能力があったのだろうか。それはそれとして、矛盾をまともに受け入れる試み、提案をした驚くべき人物である。その矛盾を受け入れる道として、無限、という概念こそ唯一のものであると主張している。スコラ哲学は、アリストテレス流だから、神は無矛盾であると見るのに対して、クザーヌスは、反対するものを一致させるのが、神の業であり、無限と言う領域に至れば、有限の世界での反対は一致、すなわち矛盾は解消するのだと言う考えを示した。
著書「知ある無知(ドクタ イグノランチア)」には、例えば「最大なもの、と最小なもの、とは一致する」とか、「知ることは無知であること、である」などの反対の一致が説明つきで沢山述べられている。
反対の一致のみならず、地球も太陽をまわる星であるはずだ、などという地動説を、なんの観測もせずに思考だけから結論している。コペルニクスより100年以上前にこんな考えを発表できたのはすごいけれども、告発を受けつつも自説を主張できたのも、ルネッサンスの時代で、キリスト教会の締め付けがある程度緩んでいたのが幸いしたのかも知れない。
クザーヌスは地動説を実験的根拠なしに唱えたので価値が低い、と書かれている本を見たが、それは逆で、宇宙の事を考えるだけで、それは何処をとっても、そこが中心、と言い得るはずのものでないとおかしい、と言う恐ろしい卓見に到達したことがすごい。つまり、神の存在を考えれば、地球だけが特別の場所、宇宙の中心では無いはずである、などと思い至ることの方が、望遠鏡でみて判るより偉いと思える。クザーヌスの無限に関する思想は多くの人に、陰に陽に影響を与えており、1600年に火刑に処せられた事で知られるジョルダー・ブルーノも宇宙の無限を言い張ったことが、お咎めの原因だった。
無限に至って反対が一致する、という事柄が、実は身近に現実にあることは、工学的な見地から後で取り上げたい。

3.5.5 ニセの本に書かれた本当の話

アテネでパウロの説教を聴いてキリスト教に回心したディオニシウスと言う名の人がいた事に、この3.5節の始めに触れた。そのディオニシウスが書いた4冊の本がある。何しろディオニシウスはパウロの弟子、すなわちキリストの孫弟子に当たるのだから、ディオニシウス・アエロパギーデス、とまとめて呼ばれるそれらの本は聖書に次ぐ貴重なイエスの思想を伝える書である。と西洋の教会で19世紀まで信じられていた。時代考証の結果、結局今では、これらの本は、ギリシャ哲学の最後の人とも言われる、先述のプロクロスの時代以後(5世紀以後)に書かれた事が判明している。
その為、いまでは、必ず、偽ディオニシウス、と偽の字を冠して参照されているが、中味を読むと結構面白いので、長年本物と思われてきた理由も判る。先に何度も触れたスコラ哲学というカソリックの教義の基礎が、アリストテレス流の合理主義とキリスト教の合体であるのに対して、偽ディオニシウスが、プラトンの流れすなわち精神主義とキリスト教の合体であって、しかもそれが、ディオニシウスの名を騙ることに成功して、脈々とキリスト教の中に神秘主義、否定神学の伏流(?)を存続させて来たことは、極めてドラマチックである。
急に神秘主義、とか、否定神学、とか言われても誰もがチンプン、カンプン、であることは確実なので、偽ディオニシウスの「神秘神学」という書物(キリスト教神秘主義著作集1巻、教文館、1992)を直接覗いてみよう。

「光りを超えたかの闇に近づくことを祈ろう。我々は万物の否定によって、超越的なものを超越的に讃えよう」、「すべての光りのもとに隠された超越的な闇を見るのである」といった文が続くが、この本の第二節に「これは資格のない人、すなわちこの世の事物に捉えられて、事物を超えたものがあるなどと想像すら出来ない人々には、決して聞かれることがないように注意しよう」とある。なぜなら「そのような人は、万物の至上なる原因を、あるものの中で最低のものによって表現しようとする」からだと述べている。あるものの中で最低のもの、とはキツイ表現だが、それは経験を踏まえた実証主義のやり方を意味している。すぐに、証拠、証拠、とか、世間ではそれは通用しませんよ、などと言う人々には、これを聞かせてはダメなのである。

神と矛盾についての明解な説明も神秘主義に立ってなされている。抜粋して引用すると、「神を万物の原因と見る場合には、存在者についてなされるすべての主張を、神についても肯定しなければならない。しかし、万物を超えるものとして神を見る場合には、これらすべての命題を否定しなければならない。神は、すべての否定と肯定を越えて、これに先行するものと考えなければならない」とある。
神秘、とか、否定、といわれると、近づくとヤバイ、という感じを覚える。けれども、光りを超えた闇、なんて魅力的な表現だし「資格のないものには聞かせない」と言われると、俺にも聞かせて、という気にもなる。
矛盾、無限、因果を超越するには、神秘主義、否定神学は本当のことを述べているのかも知れない。という気になりそうな所をこらえて次にすすもう。

3.6 哲学者達の「謎」との対決

3.6.1 カントのコペルニクス的転回

江戸時代なら想像できても、縄文・弥生時代となるとかなり戸惑う。カントとアリストテレスとの時代の差は、我々日本人からすれば、ほぼそれだけの差がある。1804年に死んだカントの本、例えば、純粋理性批判、と約2300年前に死んだアリストテレスの本、形而上学、とを読み較べると、しかし、カントは極めて判り難く、アリストテレスは驚くほど平易で論旨明解である。
その二人がどちらも「矛盾、無限、因果」にチャレンジしているのは、面白いことは面白いけれども、二人の著書をあちこち読みかじって較べると、平易と難解が対照的であるだけでなくて、発想が全く違う点にも驚かされた。オッカムの剃刀を使うことにして、ズバリと違いを洗い出してみよう。

アリストテレスは、すべての学問の基礎を打ちたてようとした時、何を考えてもこの「謎」に結局行き当たることに気がついた。そして論理学と言う道具を使えば、他の学問は努力と思考でいくらでも壮大華麗に建設して行けると見抜いたのだった。「謎」は証明出来ないのだから、実用的な視点から、受け入れて何の文句があるか、事を進めるためには、いつまでもつべこべ愚痴を言ってても始らない、としたわけである。

カントはどうだろう。彼は哲学者たらんとしたので、論理学の上に他の学問を築くことに急であるよりも、「謎」そのものを問題とする事に力を注いだわけである。カントはアリストテレス流の経験によって確かめながら物事の理解を深めて行くやり方だと、どうしても、矛盾に行き当たるので、それを何とか回避する発想を求めて、人の物事の認識に、経験的のほかに、ア・プリオリな認識、という考え方を導入した。
通常の認識は、ア・ポステオリと彼は呼ぶ。主著、純粋理性批判の始めにア・プリオリな認識の例として、家の土台の下に穴を掘ったら家が倒れるのは、穴を掘らなくても(穴を掘る以前に)判るという例が書いてある。この「以前に判る」感覚がア・プリオリな認識である。なるほど、すると通常の我々の経験による認識はすべて、ゲスのあと知恵(ア・ポステオリ)なんだなと判った。
カントはこのア・プリオリな認識による経験(?)を先験的な認識と呼ぶ事にして(本によっては、先験的をア・プリオリの訳語にしてる、経験に先立つ認識、という意味ならこれの方が判り易い)先験的認識によれば、経験的認識では不可避の矛盾を解消できるのだと主張している。

カントは先見的認識を使って考えることは、アリストテレスのア・ポステオリすなわち、後ずけ専一の認識、による論議と全く違う新しい哲学を拓くものだ、と自慢している。そして、自説は哲学における「コペルニクス的転回」(純粋理性批判2版序文)だと言っている。コペルニクス的とカントが言ったのは、面白い比喩である。コペルニクスのとなえた地動説は、人が星の運行を理解する為には極めて便利な見方だけれども、それは人に便利なだけで、天動説が偽で、地動説が眞である、と言うものではない。何が動いて何が静止しているかは座標の取り方の問題に過ぎないのだから、例えば送電線の中を走っている、ある一個のエレクトロンが宇宙の中心であってよい。そうすると説明が難解になる(人には)だけで、人間以外は誰も(なにものも)困らない。カントの転回も、矛盾が解消したつもりでも、矛盾の場所を、ア・プリオリな認識とは何ですか、という別の場所に移しただけのように思える。

カントは純粋理性の使用(深く考える、くらいの事としか理解できないが)の到達する問題として四つの、「宇宙論的問題」、二律背反(アンチノミー、自己矛盾)を指摘した。それらは純粋理性批判2章に書かれているが何れも「謎」に関連する事柄である。すなわち、1.時間、空間、の限界の有無(無限)、2.物の(無限分割)の可、不可、3. 原因性、自由、の有無(因果)、4. 絶対者(神)の存在、不存在(矛盾)。
これらのアンチノミーは、けれども、よく考えるとどちらかが眞である、と思うから自己矛盾に思えるだけなのだ、実はどちらも偽である「弁証的対等」と彼が定義する種類の、取り上げるに及ばぬ問題である、と結論をだしている。けれどもこれでは誰の常識からしても何も言ってないに等しいので、じゃあどうなの? となる。

カントはこの四つのアンチノミーは全部同じ点に問題を含むと見ている。その共通点は、どれもが、限界を超えた限界の又その限界、とか、分割された物の再分割のまた再分割、とか、原因の原因の原因の・・・、とか、神様がいれば、その神様は何処から来たの? とかいう、カントの言葉で言えば、無限の背進を避けられない所である。すなわち、無限背進ひとつがアンチノミーを生じてる、と言う事なのである。結局、それがなんで「弁証的対等」とか言ってチャラになるのかを調べないといけないことになる。カントは、それらの問題は背進というプロセスそのものが、そのもの、なのであって、例えば、物があってそれを分割すると考えるのがイケナイ、分割と言う、キリのない背進そのものが、すなわち物そのもの、と見なさい、そうすれば、どこでそれが終るのか? なんて悩む必要がなくなる、すなわち矛盾は解消します、と書いている。

カントがアリストテレスから転回した、と述べていても、謎のほうでは向きを替えずに居座っているようでもある。もう少し他の哲学者について調べて見よう。

3.6.2 みんな悩みはおなじ

時代を少し遡って、、様々な著名な人物が「謎」について悩み、まるで逆さまだと見える理論を述べたりして来た様子を眺めてみよう。繰り返すと、悩みのポイントは自然現象のなかに偶然があるのか(因果の必然的つながりの有無)、あるとしたら神様の全能性と矛盾するのではないか、世の終りはあるのか無いのか、キリのない事柄(無限)がありうるか、などである。
見通しを良くするために、大まかに二つの派に分けて見ることにする。すなわち、合理的に割り切って、すべては理性的な説明が出来ると主張するグループ、決定派と、いや、世の中は偶然が仕切っているので、何事もこれから決まって行くものである、と主張する、偶然派、である。グループ分けは最も好ましくないやり方だが、分け方に問題はあっても、だらだら通しで書くより、少しでも見通しが出来る事を願ってそうするだけである。

3.6.2.1 決定派、あたりまえの事は疑わない人々

ライプニッツ(1646-1716)は、微分積分学を発明した天才として知られる以上に「予定調和」という言葉で知られている。高校で習った微分学を思い出して見ると、曲線の傾き(勾配)がその曲線の微分係数というものだった。それを求める方法は、始めに曲線を大きな区間に区切って、その区間の荒い傾きを計算し、だんだん区切りかたを小さくしていって「無限」に区切りを狭めて、遂に区間の幅ゼロにいたって、微分係数、すなわち勾配を求める、というやり方である。ここに驚くべきことは、ライプニッツは(別々の発明者であるニュートンも)初めて「無限」を実用的に利用したのである。
ライプニッツは、自分の数学的解析結果の美しさに感動したためか、世界は厳密に因果の関係ですべての事象が動いていると確信している。奇跡と言われる現象でさえ、それの起こる原因、理由が判然としていると見ている。一方で彼は、敬虔なキリスト教徒であったので、神の全能性にいささかの疑問も持たなかった(ふりをしていたのかも知れないけれども)。そこで、自然現象の決定性と、神の裁量による慈悲など人間の予測に掛からない現象の、辻褄あわせとして持ち出した折衷案が「予定調和」である。だから、予定調和は、決定論派の、矛盾のしわ寄せの一番判り易い端的な解決法として、有名になっている。
ライプニッツでもう一つ有名なのは、モナド(単子)、というものの存在を主張したことである。単子というものは彼の発明ではないらしいが、単子論、という本まで書いているので、単子と言えば、ライプニッツ、という事になってる。詳しく調べても意味ないようなことであるが、要するに、予定調和にむけて、自然界の動きと、神様が動かす世界の仲立ちをする、形も大きさも何もない、もの、が単子らしい。数年まえに死んだアメリカの漫画家アル・キャップの考えた、世の中のイヤな事を一手に引き受ける、白くて雲みたいな生き物、シュムーを思わせるものである。

スピノザは、断じて偶然など無いと主張する派の代表みたいな人で、エチカという有名な倫理の本にその事を書いている(1677)。スピノザは幾何学の、定義、公理、定理、証明、という形式がキレイである事にほれこんだらしくて、エチカ、をその形式で書いている。幾何学の形式をまねて、例えば神とは自然であり、何処にも神がいるのだ、などという考え方も、この方式で論じて、文の終りに必ず、かくの如く証明された、というラテン語、Q.E.D.(quod erat demonstrandum)と書いている。
ユークリッド幾何学は、たった五つの公理の上に構築された壮大な作図可能な図形の世界であって、矛盾のない世界である。スピノザだけでなく、この完全にして矛盾の無い幾何学の方式を、現実の世の中の、哲学、政治、経済、物理、生物、そして幾何学以外の数学にも広めたいと人が願望をいだくのは当然かもしれない。けれども、現実の世界は、幾何学のように人間が範囲をきめて、いわばゲームを人為で作りあげるものとは違うので、公理を基にした証明は出来ないかも知れないし、そのような証明は元来すべきでないのかも知れない。というようなことも後で考察しよう。
エチカを読んでみても、一向にどの証明もQ.E.D.のような気はしないけれども、その真面目さには、頭が下がる思いがする。ちなみにスピノザは、人間がブリダンのロバのような状況に置かれたら、判断できずに餓死する、とエチカに書いている。つまり、人間の思考を含めて自然現象には、いい加減に決める、決まる、事は一切ない、と言う考えである。

デカルト(1596-1650)は「われ思う故にわれあり(コギト・エルゴ・スム)」で有名だが、神の存在証明でも有名である。これらは「方法と瞑想についての討論」に書いてある。この本で面白いと感じたのは、デカルトが、自分は決して普通の人より優れた能力を持っていると思わないが、学問であれ、瞑想であれ、きちんと順序を踏んで積み重ねて行く「方法」を心得ているので、人より高みに昇れるのだと思う、と書いている点である。だから君達にも「方法」を教えてあげるよ、ついでに瞑想のやり方も示しておきます。その前に、本当に神様がいることを証明して置きましょう。といった、調子の良い、本がこれであることが、何度も読んで見ると判ってくる。
このデカルトも極めつけの決定論者で、自然は何一つ例外的な現象を引き起こさない、と信じている。人の体も機械と同じで、自然の規則にしたがって、機能するだけである。と断言する。しかし、である、精神だけは別物でこれは自然のルール無視で思いのまま振舞える。と見ていて、それが、時々デカルトの名を冠して参照される「二元論」である。これもライプニッツの予定調和と同様、簡便な矛盾の回避である。

3.6.2.2 偶然派、あたりまえの事を、あたりまえと思えない人々

ヤコブ・ベーメは日本ではあまり知られてないが、かなり面白い人物らしい。靴作りの職人でありながら哲学的考察を「大いなる神秘」という本にした(1623年)、という変人(聖人?)だが、その言葉に「イエス(ja)とノー(nein)は同じことである」がある。これは矛盾であり、論理学のいうところの、自明な原理(トートロジーと呼ばれる)に反する発言である。
しかし「徳は孤ならず」という論語の言葉通り、仲間は既に紹介した通り少なくない。クザーヌスの反対の一致の概念や、老子の20章、ヘラクレートスの善と悪の同一視、などがこの系統である。この時代に、はっきりと、イエスとノー、が同じである、と言ったのは「値打ち」があるように思える。ちなみに、その部分の文章は、神の慈悲と怒りについての説明であって、結局、慈悲も怒りも一つのものの別の側面である。と言うような話なので、矛盾を矛盾のまま受け入れたとはいえない。本当に、一つのものが同時にイエスでありノーである、とは考えなかったのだろうか。

ヒュームは「人間本性論(1739)」を書いたイギリス経験主義哲学の有名人である。人間本性論、などというタイトルをみると「それで、本性は、なんでんねん?」と関西弁で聞きたくなる。またまたオッカムの剃刀で、この大部な本の一言を削り出すと、人間の本性は共感、シンパシー、であると結論されている。共感とかシンパシー、と言ってもらえると、安心感がでるし、ドライな経験主義哲学も良いものかも知れない、気もする。さて、ヒュームの人間本性論には、因果についての有名な記述がある。
彼は、因果に関して「あれなければ、これなし」と言う繋がりを認めないと主張したのである。すべての事柄はその一回の新らしい現象でなければ、原因の無限の背進を考える必要が生じてどうにもならなくなる、と彼は見ている。けれども、全面的な因果の否定でもなくて、時間的にも、空間的にも、接続(contiguous)した事象は因果の関係を認めている。接続と連続 ( contiguous と continuous) の何処が違うのかサッパリ判らないけれども、偶然派ではあっても、生活の知恵的には因果の縛りも認める方式はカントにも影響を与えたようである

ヘーゲル(1770-1831)もカントが取り上げた四つの二律背反(アンチノミー、自己矛盾)を取り上げて、矛盾、無限、因果についての解釈を試みている。彼も、カントと同じくこれらの四つの自己矛盾はどれもが結局、元の元の元・・・・と探っていかないと解決しない、無限の背進に陥ると認めている。彼の解決策は、因果についての説明で見ると原因と結果が交互作用すると考えるものである。なんだか、原因が結果に移って、結果が原因に反作用を持つ、と書いてあっても、理解に苦しむけれども、結論を見ると、交互作用のおかげで、結局、原因と結果とは円環を形づくり、無限の背進の問題を解決出来る、としている。ヘーゲルの意図は、この円環という発想に論議をなんとか持ち込もうとしたらしいと読める。円環では無限の背進が起こっても手の内から外に出ないので、理解できる範囲に、因果でも、第一原因でも、神の存在でも処理可能と思うことができる。
円環の発想はすでに前述のソクラテス以前の哲学者、ヘラクレートスが述べているし。中国の儒家で性悪説で有名な、荀子が正にその事をズバリ、天地の始まりと運行について「始れば終り、終わればまた始ってあたかも円環に端がないように続くのだ(始則終、終則始、若環無端也・王制篇第九)」とのべている。新発想はなかなか出ないものだと判る。ヘーゲルは、ある概念を否定して、その否定をまた否定して、最初の概念を含みながらより高次の新概念に至る、いわゆるアウフヘーベン(止揚)の方法、ヘーゲルの弁証法の発明者なのだから、矛盾の回避にも目の覚めるような、説明が欲しい気もする。

ヴィトゲンシュタインは「論理哲学論考(Tractatus Logico Philosophicus、1921)」と言う、問題の書、によって甚だ有名である。数学者で論理学についてこの本を書いたのだけれども、解説を読むと、論理学というより哲学の本である、ことになっている。論理記号が幾つかあるけれども、誰が読んでも読める文章が、番号付きの箇条書きにされている。第7章には「話せない事については、沈黙せねばならない」と一行だけが記されていることは前述した。
論理学の本だから記号が出てくる、ある記号例えば、P、で一つの命題(なにかの概念)を表し、~Pでそれの否定を表す、とすると、すでに何度も書いた通り、アリストテレスの打ちたてた論理学の出発点であり、そして現代論理学の基盤でもある、矛盾律は、(P かつ ~P)を認めてはならない、というものである。
ヴィトゲンシュタインは「P と ~P とは、同じことを、言うことが出来る(4.0621)」と書いて世間を驚かせた。その理由は、二重否定、~~P が P と同じであるためには、~P と P とが違ってはダメだ、と屁理屈としか我々には思えない理屈が書かれている。そのほかにも、原因と結果の必然的関係を全否定して、「世の中のすべての出来事は偶然である(6.41)」と言う。確かに「明日太陽が昇る、ということは、仮定にすぎない(6.36311)」と言われると「そ、そ、そうですね」と納得を強いられる気もするけれども・・・・。
ヴィトゲンシュタインは、生前にはこの本一冊だけ出版して、死後色々遺稿が出版されている。この本の発想から変節した様子もあって、これは前期ヴィトゲンシュタインとか言われる事もあるらしいが、書かれた思想は、変えられないし、確かにその真意がわからないが、考えさせられる思想である。
こういう、極端な偶然派もいると確認したところで、哲学者の悩みをの項を打ち切って先に進もう。

3.7 論理学者、数学者のする事「証明」とは何か。

哲学、宗教において、矛盾、無限、因果、が根本問題である事を見てきたが、それはただ、文系的発想の大問題で、理系的世界ではとっくに判りきったことですよ、と言われるとまずいので、論理学、数学の世界でもこれが同じく大問題であるらしい事を確かめてみよう。

3.7.1 無限は本当にあるか

アリストテレスは無限というものが実存したら、部分と全体とが等しくなる、という矛盾が生ずることになるので、無限は考えだけの中にあるものとして、実用上は無視しようとした。ところが、ガリレオ(1564-1642)は自然数(0 1 2 3 ・・・)を順番に二乗して見ると(0 1 4 9 ・・・)となり、n番目の自然数にはnxnつまりnの二乗が対応することに注目した。
それがなんや、という無かれ、すべてのnにはnxnを対応させ得るのだから、(0 1 4 9 ・・・)という「飛び飛びの数」が(0 1 2 3 ・・・)という「順番」通りの数と「無限」にペアを作る事がガリレオにとっては「大発見」だったわけである。(0 1 4 9 ・・・)は飛び飛びの数だから、自然数全体から見れば「部分」のはずなのに、それが自然数の「全体」である(0 1 2 3 ・・・)と一対一にペアを作る。これは取りも直さず「部分」と「全体」の一致ではないか!とこれはガリレオの天才を語る、知る人ぞ知る、逸話である。

しかし、自然数って本当にあるの? といわれると、ドキッとしないではいられない。物が1個ある、100個ある、一億円持ってる、無一文で0円しか持ってない。なんてみんな考えの中だけのことでは無いか。リンゴ1個はそこにリンゴがあるだけで、1個と見るのは人の勝手ともいえる。そう考えると、アリストテレスがなぜ、無限を考えると、部分と全体が同じになる、なんて断言できたのか、そこが不思議になる、ひょっとするとガリレオがやったことをアリストテレスも石板か何かの上で計算したのかも知れない。
けれども、先述のライプニッツは、区分を無限に小さくする、という発想で微積分学を作り上げ、その微積分学のおかげで橋も出来、飛行機も飛んでるのだから、やはり数は実際にあるようにも思える。

そこで数も一応「自然物」に入れて考えることにすると、果たして、数はどれ位の「数」あるのだろう、と考える人も出てくる。無限ってなんや、と数学的にかんがえた人がガリレオの他にも出たわけである。その代表選手と認められているのがカントール(1845-1918)である。カントールは自然数が「一番小さい」無限であることを証明した。と、こんな事が数学の本には書いてあるが、我々に身近な, 0 1 2 3 ・・・、という無限に続く自然数の全部をあわせた数、つまりは自然数の中で一番大きな数(?)は、色々ある無限の中では最小であるらしい。カントールは実数(√2 とか π など無理数 を含む数)が自然数よりもたくさんある事を、ガリレオのやったペアを作る方法の延長みたいな、対角線法という、哲学辞典にまで出ている簡明な手法で示した。
それなら、実数より大きな無限の数もあるのか?とすぐに疑問がでるが、ある、ある、どこまで大きな無限があるのかは、判らない。無限な数より大きな無限な数をどうして考えるのか、という所に現れるのが集合論である。自然数はそれ自身 0 1 2 3 ・・・、という数の無限集合だけれども、その自然数の一部(例えば、偶数だけ、奇数だけ、素数だけ、など)も集合である。集合論では、無限のメンバー数を持つ集合の部分集合を全部集めた集合は元の集合より大きな無限集合になるとされている。

こうなると後は自明で、無限集合の部分集合の集合で作った新しい無限集合の、また部分集合をとって部分集合の集合をつくると、更に大きな無限集合が出来る。では無限集合の大きさは何で決めるのだろう。有限集合なら例えば (1 2 3 ・・・ 100) という集合のメンバーの数は、最大の数100が表わしている。勿論、無限集合には「その中で一番大きな数」はない。けれども無限集合の大きさの目安として、有限集合の一番大きい数にあたる、カーディナル、という指標が定義されていて、自然数のカーディナル、が無限集合の中で最小である。そして、実数のカーディナルはそれより大きい。そして、いくらでも大きいカーディナルがあって、最大のカーディナルが何かなどゼンゼン判ってない。この事態は既に因果に関して何度も書いた。カントの言葉で言えば、四つの自己矛盾に付随する限度の無い背進そのものである。
カントールの示した無限の大きさの序列も自然数と実数の差くらいまでなら、実用上の感覚もついて行けるが、そんな程度の無限は「小さな」無限である。と言われても実感とはかけ離れている。しかし哲学的に処理できていない無限は数学的にも手に負えない状態であるらしいことは、当然であるような気もする。

3.7.2 ゲーデルの不完全性定理

無限を扱う数学に集合論が出てきたが、その集合論が論理学に使われている、というより論理学は集合論の一部みたいな雰囲気がある。現代論理学はフレーゲ(1848-1925)による述語論理学と呼ばれる論理記号を使った式を言語の代わりに使う方式を採用している
例えば「我輩は猫である」と言う表現を式で書くと、我輩、をx、猫である、をF、として、Fx、となる。xは変数であって、我輩、ミケ、タマ、・・・とも置き換え可能なので、それらの集合を表わす変数とよばれる。猫である、は国語の文法で習った、述語、に相当するものであり、変数xに操作を加えるものだから、命題関数、と呼ばれる。こんな形式は、変数と関数という数学の式の扱いそのものだから、述語論理学に至って、論理学は命題の眞、偽を「証明」する数学(論理数学)になってしまった、と見る事ができる。
けれども、それが元の論理学と異なるものになったか? というと、ゼンゼンそんなことは無い。
式とか集合とか、複雑怪奇なものに目を奪われなければ、論理数学もしょせん、公理をもとに、式の眞、偽、を証明する方式であって、その公理の肝心かなめのところには、アリストテレスが示した通りの「矛盾は認めない」が居座っている。要するに、数理論理学と言えども、根幹は「証明」出来ない「矛盾律」に全面的によりかかって、それ以外のことごとくを証明しようとしているわけである。「2千年以上論理学はゼンゼン進歩がない」という、カントが純粋理性批判の2版序文に書いたことは今でも(残念ながら?)当たっている。進歩が無い、のは進歩できない障害がどこかにあるのかも知れない。あるいは、完成されているので(カントはそう見た)もう進歩の余地がないのかも知れない。そこで、論理学の入門書に書かれている論理学が進歩したとされる点を,それが何処なのか少し探ろう。

論理学はある集合の性質、特質を記号で結んで、その集合に属するメンバーに当てはめて見て、その当、否を確かめる、というような一連の操作のやり方の学問となった。となると、我輩、ミケ、タマ・・・の集合だけでなくて、自然数全体も含む集合の性質、教科書の表現に従えば、自然数論を含む体系、の中に示し得る命題(問題、概念)をいかに証明できるか、が問われることになった。
ズバリその問いに対して答えを与えたのがゲーデルが1931年に出した論文である。そこに示されたのが、不完全性定理、と呼ばれる論理学の、そして数学的「証明」の、ある限界を示すものである。数学の限界を示した、とは大変な事で、この定理に関する解説書も大変たくさんあるが、一体ゲーデルが何をしたのかあれこれ読んでも判りにくいので、ここに原論文(英訳:Frege and Goedel, Harvard Univ.Press,1970)の始めに書かれたことを、かいつまんで訳して引用しよう。

「・・・数学が進歩したので、どんな定理も機械的なルールで証明できるようになって来た。最もわかり易い形式的なシステムは、プリンキピア・マテマテカ(バートランド・ラッセルとホワイトヘッドの著書)によるものと、ツェルメロとフランケルの集合論の公理システム(ノイマンによって発展した)である。この二つのシステムは、しごく包括的なものなので、これらの中に、今日数学で使われる証明のすべての方法が形式化されている。つまり、僅かの公理とルールに基づいて証明が出来るように簡単化されているのである。そのため、おそらく人々は、これらの公理とルールは、そのシステムにおいて形式的に表現出来る限りのすべての数学的問題に決着をつけるに十分であると推量しているかも知れない。ところが、この二つのシステムにおいて、かなり簡単な自然数論の理論の問題であって、公理からは決定できないものがある事を以下に示す。・・・」

このあとゲーデルはその不完全性定理の証明法の概要を素人にも判るように説明して、そのあとに、論理的表現を自然数に置きかえるという手法を使って、でかなり長い論文を書いている。ゲーデルの文章を読むと、公理とルールさえ確かに作っておけば、数学の定理はすべて機械的に、真偽の決着をつけ得る、と見なされていた、あるいはそう信じて、その方向で証明しようと、偉い数学者がみんなソチラを向いていた時に、ゲーデルだけが、コチラですよ!といったらしいことが判る。

ゲーデルの定理は、数学の限界を示すから、それは人間の英知の限界を示している、と解説する本もある。しかし一寸考えると、アリストテレスは、自分の築く論理学、オルガノン(理屈をこねる道具)は公理にすべての基盤をおく、そして公理は証明無しに受け入れるのだ。と明言して、実はそこに不安を抱いていたがために、形而上学の始めに長々と、公理の中でも根幹をなす矛盾律について、それを採用する言い訳を書いたと想像することができる。結局、人の英知に限界が見えたのではなく、ゲーデルの仕事は、人がアホやった!と気づいただけのようである。アリストテレスが偉いと無意識に思っていて、前述の偽ディニシウスに書かれていた、事物を超えた事物があるなどと想像すら出来ない人々、が多すぎたのかも知れない。ちなみに、偽ディオニシウスの本はプラトンの流を汲むものである。

ゲーデルは、自然数論を含む論理学に矛盾が無いと仮定したら、機械的に証明出来ない定理があるのです、と言ったのであって、そこに矛盾があるといったのではない。しかし、アリステレス流の論理学が、ゲーデルがいみじくも書いているように、比較的簡単な数学の問題でさえ、その証明に限界が出たのである。自然数は先述の通り、無限集合のなかでは、一番身分の低い(?)輩でしかない。まして、どれだけあるのか判らない、もっと偉い無限集合達の理論を調べて、そこに数学的矛盾がありました! なんてことが発生しないとは言えないのでは無いか? などと、素人が憶測すべきでないことは判っているが、どうも、矛盾なし、と勝手に決めて出発した論理学で証明できる事は、矛盾の無いゲームの世界に限られていそうな気もしないではない。いわんや数学の世界でない、形而上の世界は矛盾に満ちているのではないか? と考えながら次に進もう。

 →非論理哲学論考・矛盾、無限、因果(4) 

Written by Shingu : 2003年06月14日 11:42

トップへ戻る